雑談 昔のフォークソングの反戦歌は音楽、曲、メロディが好きでした

雑談

数日前にコメントで昔の反戦歌のことが書かれていたので、私の中高生時代~若い時に好きだった音楽、曲のことを書きます。率直に書くと昔のフォークソングの反戦歌は好きでした。

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ギターで弾き語りの出来るピーターポール&マリーが好きでした

愚弟の言う事ならなんでも聞く母が、クラシックギータを愚弟に買ってやりました。少しの間「禁じられた遊び」を習っていたようでしたが、ほどなくフォークギターが欲しいと言い、母はフォークギターを買ってやりました。そこで、私は弟が使わないクラシックギターでコードを覚えました。昔の「月刊明星」「月刊平凡」は付録が歌本で、ギターのコードも書かれていたのです。

フォークソングはテレビで流れることは、ほぼ無かったと記憶しています。私はもっぱらラジオで音楽を聴いていました。その後、私はフォークギターの本を買いました。その本でアルペジオを覚え、ピーターポールandマリー(PPM)の花はどこへ行った、500マイル、悲惨な戦争、をアルペジオで弾き語りが出来るようになりました。 英語もさほど難しくなかったのです。ベトナム戦争の反戦歌だとは全く意識せず、音楽、曲としてシンプルだけど美しいメロディラインが好きでした。

後にPPM他同年代にヒットしたカセットテープを買いましたが、ボブディランの「風に吹かれて」の歌詞が掲載されずガッカリした記憶があります。この曲もメロディがシンプルで綺麗です。

「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットしたフォーク・クルセイダーズは当初、コミカルフォークグループかと思いましたが、その後に出した曲は全く違いました。有名な「イムジン河」は短期間で聞けなくなりました。悲しくてやりきれない、戦争は知らない、は反戦歌のジャンルに入るのかも知れませんが、メロディが綺麗でした。フォーク・クルセイダーズでは「戦争は知らない」この曲のメロディと歌詞、特に一番の歌詞が好きでした。

※野に咲く花の名前は知らない だけども野に咲く花が好き 帽子にいっぱい摘みゆけば なぜか涙が 涙が出るの。

戦争は知らない

学生運動と自死と恋愛をミックスさせた曲が多かったのが、森田童子でした。森田童子といえばテレビドラマ「高校教師」の主題歌「僕たちの失敗」が有名です。私は森田童子の透き通った美声に魅了されました。女性が歌っているのに、歌詞が「僕たち」「君が」の表現も良かった。さよならぼくのともだち、赤いダウンパーカーぼくのともだち、まぶしい夏、これらは学生運動を彷彿とさせる曲ですが、明るい恋愛調の曲もあり好きな曲が沢山です。ドラマ高校教師のヒットでCD化された時に買い、その後もレア物がヤフオクで出品された時に、1万数千円出して買いました。

暗い曲が多いのですが、なぜか自分自身も落ち込んでいる時に聴くと気持ちが落ち着きました。友達は返って鬱になりそうだから嫌だと言っていましたが。



フォークソングからニューミュージックへ

ギター一本、反戦歌詞で売れた時代でしたが、その後、ピアノを弾ける荒井由実が登場しました。初めてラジオで「ひこうき雲」を聴いた時のなんとも言えない気持ち。私はユーミンは「ひこうき雲で始まりひこうき雲で終る」と思うくらいです。こうして、音楽業界はフォークソングからニューミュージックに流れていきました。

 

60年安保は知りません、東北の田舎に住んでいて年齢も6才か7才で分かるはずないです。70年安保は知っていますが、テレビのニュースで見るだけでした。中学3年の時だったと思います、浅間山荘事件を生中継で見ました。連合赤軍リンチ殺人事件の衝撃も覚えています。あれから学生運動は下火になりました。

私自身は反戦歌というより、フォークソングのジャンルでギター一本で弾き語りが出来る、美しいメロディライン、音楽、曲として好きでした。過剰に反応する人は、吉田拓郎の「夏休み」も反戦歌だと言います。反戦歌と言われようとも、そういう時代に青春を送った人には大切な思い出の曲です。そもそも反戦歌だと意識しない、私より7才年上の友人は彼氏と別れた時代の思い出の曲だと言う人もいました。 で、もう2、30年前から新しい曲、今現在ヒットしている曲に着いて行けなくなりました(T_T)



コメント

  1. ramiri より:

    mayuさん、おはようございます!音楽の話は楽しいですね。途中で終わらせず、全部書けば良かったと後悔しています。ビートルズこそリアルタイムで覚えてないですが、グループサウンズ大好きでした。小学校1年から2年の間ずっと好きでしたが、そろそろ飽きてきた時です。フォークルが出てきたのは。京都市に住んでいたので知ったのは早かったと思います。子供だったので、その後の名曲や、サディスティックミカバンドは、ずーっと後に知りました。。はしださんの[風」」や「「花嫁」」は、リアルタイムで好きでした。グループサウンズが消えてしまいテレビで音楽に触れることもなくなっていましたが、5年生頃には、「別れの朝」」とかジュリーの曲とか好きでした。。そうこうする内に郷ひろみがデビューして数年間ファンでした。チューリップもその頃のデビューで、福岡市に住んでてラジオででよく聴きました。中2の2学期から東京に転校して半年後にクイーンがデビューしました。ひろみファンだった友達がいきなりロジャーファンになってしまいました。ユーミンの「ひこうき雲」」は、中3の同級生にLPを借りたようなラジオで聞いたような。忘れてしまったんです。ロックは高校入ってから、やっと目覚めたようなものでして。甲斐バンドも好きでしたし。そんな私は昭和35年12月生まれです。

    • mayu より:

      ramiriさん

      今の曲は全然分からないので書けませんが、昔の若い頃に好きだった
      曲なら書ききれないくらいありました。
      ビートルズは団塊の世代の人達が好きだったみたいですが、曲は世代を超えて愛されてますね。
      来日したのはテレビで見て、少しだけビートルズも聞きましたし、グループサンズの後にフォークでしたか。
      ザ・タイガースの映画を友達と見に行きました(笑)
      ラミリーさんは、京都、福岡、東京とお住まいが変わっていますが
      転勤族だったのかな。 はしだのりひこさんの「風」も良かったです。
      ジュリー、チューリップ、甲斐バンド、みんな口パクじゃなく歌って上手でした。
      アイドルでは御三家の他に、南沙織が好だったなぁ。
      洋楽はロックはうるさくて駄目でしたが、ロッドスチュワートのバラードは良かった。
      ラミリーさん、私より6~7才くらい年下なんですね。

      • ramiri より:

        返信マークのところで反映されるかな?

        前々回あたりで、反映されてない事がありましたので。。どうでしょうかね?まさに父は高度経済成長期の転勤族でした。東京へ転勤してからは、父だけ、動いていたので家族は同じ家に住んでいました。京都と福岡の間に大阪も、挟まっています。京都の前は、西宮市でした。甲子園球場がある所です。母親の出身地で、母方のお墓もあります。私の従兄弟たちは沢山いますが、親が転勤族ではなかったです。父の姉が大分県の農家に嫁いで息子二人、大分県にいるままですし、他は、全員、関西です。従姉妹が結婚して関西を離れたパターンはありますが。
        mayuさんと同じ年頃の従兄弟は、父の妹が、子供連れの方と結婚し、血のつながりはありません。

        南沙織、シンシアですね。小6の頃、「すごく好き」」と言ってた女の子いました。ひゃあ一気にタイムトラベル(リープ)してしまいました。

        • mayu より:

          ramiriさん

          返信マークは吹き出しのようなマークで送信すると、私のパソコンにメールが入り
          このブログにも承認待ちの表示が出るのと、スパムもチェックするので
          反映されないのはコメントが送信出来なかったケースだと思います。

          いろーんな所に転勤されていたんですね。
          昨今は父親と一緒に転勤に付いていくのは小学生まで、その後は
          単身赴任が多いとか、転校による苛めが心配だそうです。

          南沙織、沖縄出身のハーフで曲も好きだったなぁ。

  2. マグノリア姐さん より:

    おはようございます。

    森田童子のお名前を拝見して、思わず懐かしいと感激してしまいました。
    「高校教師」見ていました。

    明星や平凡の名前も久しぶりに見ました。
    私などは当時は本当に若輩者でしたので、お小遣いをためてやっと一冊買う、または友達と回し読みしていました。
    明星派とか平凡派とかありました。

    60年代70年代安保闘争は知りません。
    学生闘争とかもよくわかりません。
    あさま山荘事件の鉄球のシーンがかすかにありますが、おそらくこれしか浮かんでこないので後日のドキュメントの1シーンとしての記憶だと思います。
    でもこのころに生まれた曲は今でも歌い継がれていますね。
    歌詞がしっかりしていて、曲調が心打ちます。

    時代は変わりましたね。

    • mayu より:

      マグノリア姐さん

      森田童子さんは2年前に65才でお亡くなりになったそうです。
      カーリーヘアーに黒いサングラス、ギターを持った姿しか分からない、
      高校教師の主題歌にする時も、メディアには一切出ないとの条件だったとか。

      私は意外と本はよく買っていました。
      愚弟は全く本を読まない人でしたが、私は本を読むのが好きで
      本を買うお金はよく出してくれていました。
      小説だけでなく、マーガレット、リボンなどの漫画雑誌、週刊誌に
      女学生、なんて本もあった記憶があるんです(笑)

      私も安保闘争はテレビで見る程度でした。
      浅間山荘事件は1週間くらい生中継していたのかな?
      学校から帰ると見ていて、大きな鉄球で山荘を壊すのも見ました。

      とにかくいろんなジャンルの曲が沢山でしたね。
      フォークの前後はグループサウンズもありましたよ~(^^)

      今の曲は早口でテンポも早い、曲は長いし覚えられません。

  3. やしま より:

    懐かしいお話をありがとうございます。
    私が小学生のころ。まだ沖縄はアメリカ領土でした。パスポートがないと沖縄には行かれませんでした。
    その当時は「アメリカ帝国主義反対!」という感じの人たちとノンポリと言われる学生たちと、あとはヒッピーという「自由人」というのかな。サイケとかねぇ。今はもうみんな死語ですね。

    ベ平連なんていうのもありましたね。当時は反戦というと、アメリカ支配からの脱却とかベトナム戦争を指していたことが多かった気がします。イムジン河は朝鮮戦争ですよね。
    ひたすら懐かしいです。活力に満ちていながら、どこか影もしょっている昭和な時代でした。

    ところで私、今回初めて知ったことがあります。「ひこうき雲」って高校時代に難病で亡くなった方がテーマなんですね。自死かと思っていました。「ツバメのように」の歌詞はそっちなんですが。森田氏もそうですが、「影の部分」が身近に感じられた歌も多かった気がします。

    今週号の週刊新潮に、サザンの桑田氏の地元茅ヶ崎話が掲載されています。「長い黒い髪の女性と背の高い白人男性が手をつないで海岸を散歩していた」という光景がごく普通に見られた街。オノヨーコさんの実家は辻堂にあったそうです。いやぁ~同じ首都圏でもやっぱり神奈川はハイカラですわ~

    mayuさん、ピアノも弾けるしギターもお弾きになるんですね。尊敬です♪
    それから今の若い皆さんの歌がわからないのも同じでーす。

    • mayu より:

      やしまさん

      ノンポリ、サイケ、は意味不明でしょう。
      ヒッピーは分かる人もいるかな?
      死語が多くていつの時代の話と思われそうですが、50年前。
      やっぱり半世紀前は昔々になりましたね。

      「ひこうき雲」は若い子が病死した歌詞で、初めて聴いた時は
      私も感受性が高くて涙が出たものでした。
      ユーミンと同い年なので、ユーミン16才の時の曲かな。
      その頃の感受性をユーミンも無くしたかもしれません。

      「ツバメのように」が収録されているアルバムは「OLIVE」で
      「風の中の栗毛」が大好きでした。結構明るい曲が多かったのに
      ツバメだけが異常に暗い曲の印象がありました。

      週刊新潮に茅ケ崎の話が載っているんですか。
      茅ヶ崎といえば、サザンと加山雄三・・・の私でした((+_+))

      私のピアノはとんでもない、老後の趣味程度で、5才児くらいのレベルでした。
      ギターはコードを押えたアルペジオが弾けましたが、やしまさんも
      習うと簡単に弾けます。
      ピアノはやっぱり子供の時から10年習うのと、50才過ぎてから
      10年習うのでは全く違いますね。
      ピアノを習った動機がピアノの弾き語りをしたい、だったのと
      講師は大人のピアノレッスンでは絶対に怒らないので進歩しないのでした。

      • やしま より:

        その新潮には、加山氏と上原氏と、そしてオーナーだったホテル話も掲載されています。加山氏の話も結構長く書いてあったと思いました。2ページものなので、立ち読みでもいかがでしょうか。懐かしい話が多かったです。

        実は私結婚前、クラシックギターを自分で買って練習しました。でも手が小さいせいか押さえられないコードが多くて挫折。だから弾ける方はうらやましいです。ギターと言えば夫と付き合い始めのころ、彼が「22歳の別れ」が弾き語りできるようになったというので聞いていたら、彼が「でも、こんなふうなのは嫌だからね」と、歌った後に言うのが胸キュンにσ(^◇^;)。。その当時彼は18歳。
        ガロの「学生街の喫茶店」もそうですが、あの時代は陰影のある歌が多かった気がします。

        「あの頃は愛だとは知らないで さよならも言わないで別れたよ」
        ぐっと来ます。

        • mayu より:

          やしまさん

          今日、リハビリに行って週刊新潮を見てきたのですが、最新号でしょうか。
          整形外科には、週刊文春、週刊新潮、週刊現代の三誌が置いてあり、
          誰かが読んだ後に置かれるのかなぁ? 探せませんでした。
          そして今日も患者か少なくて、10分程度で呼ばれてリハビリで、
          そのうち探してみようと思いました。

          おおっ、ギターの練習されたんですね。
          私も手が小さくてピアノも1オクターブしか届かないんです。
          ギターもコードのFが押えられませんでしたが、適当に弾いていました。
          アルペジオだと誤魔化しがきくし、友達に一度聞かせたくらいなので。

          ご主人、22才の別れを弾き語りで・・・
          うわわわ~~ロマンチックが止まらない~♪
          それも18才で、ドラマのワンシーンみたいじゃないですか(^_-)-☆
          良い曲に恵まれた世代だと思います。

          神田川、岬めぐり、小椋佳のファーストアルバムも思い出深いです。

  4. ミラージュ より:

    mayuさん、こんにちは。
    懐かしいですね~、フォークソング。
    今の若い方々は、ニューミュージックというジャンルさえ知らないんですよ。
    私はドンピシャリの世代ですが、特に反戦を意識したことはないですね。曲自体が良かったからでしょう。
    mayuさん、ギターも弾けるんですね。いいな~、私は何をしても続かずリタイアです。
    雅子サマと同じメンタルかも(((^^;)
    60年安保も70年安保も良~く知っています。
    父が公安関係の仕事をしていたので60年安保の時は何日も帰宅せず、又デモで亡くなった東大生はデモ隊の中でだとも聞きましたが、学校の先生は警察が殺したと。
    子供でしたので反論も出来ずに悔しい思いをしました。
    先生達は授業はしないで度々デモに行ってたんですよ。
    日教組が左なのはあの頃からなんでしょうね。
    私が反リベラルなのはこういう経緯があるからかもしれません。
    学生運動が下火になったのはいつの頃からなのかしら。
    ひと昔前の経営陣にはかなり過激な戦士だった方も結構いたようです。
    社会に出て現実を知り、大人になって行くんですね。

    • mayu より:

      ミラージュさん

      今の若者はニューミュージックも知らないんだ~(T_T)
      私が今の若い人が好む曲を知らないのと同じだね。

      私も反戦は意識しなかったです、曲が好きでした。
      フォークギターはコードを覚えるだけなので、ピアノに比べたら
      ダントツ楽で当時の若い人は独学で覚えていました。

      ジャンジャカするより、ポロンポロンのアルペジオが好きで合う曲が
      PPMの曲だったりします。覚えられたのは単に音楽が好きだっただけです。

      子供の時に60年安保も覚えているのは、やっぱり家族にミラージュさんのお父さんの
      ような仕事とか、兄姉が学生運動していたとか、関わる人がいないと分からないと
      思います。私は全然覚えていません。
      70年安保は中学生の時だったので、かろうじて覚えています。
      学生はほぼ学生運動をしていて、のんぽりと呼ばれる人達は軽蔑されるような
      時代だった記憶があります。

      学生運動が下火になったのは、過激派同士の闘争や赤軍派のリンチ殺人など
      過激すぎて学生たちが怖くなったんじゃないかな。

      今は学生運動すら無い、平和ボケと言われても仕方ないかも。

  5. ramiri より:

    mayuさん、再びこんにちは。白雪山羊さん、ありがとうございます。先程から、YouTubeで、坂崎幸之助さんの番組を聴いてました。鈴木雅之さんがゲストで、ガロのマニアックな曲をコピー。ウットリしてました。ガロはリアルタイムですが、ppmは、後追いです~。反戦ソングと言うと「「いちご白書をもう一度」が浮かんできます。。作ったのはユーミンですよね!バンバンの声は良いのですが、たまにテレビ番組で歌うのを聴くとガッカリします。「「ひこうき雲」を初めて聴いたのはいつだったんだろう?その頃、洋楽も充実してきて密度が濃すぎです。森田童子も後追いです。キリがないのでこの辺で失礼します。

    • mayu より:

      ラミリーさん

      坂崎幸之助はアルフィーのメンバーで、何でも上手く歌うんですよね。
      解散したフォークルのはしだのりひこさんのパートを担当した事がありました。
      ガロのマニアックな曲・・なんだろ???
      PPM、森田童子はかなり昔なので後追い当然ですが、ロック好きなラミリーさんが
      聴いてくれるのは嬉しいな。 「いちご白書をもう一度」はユーミンの曲で、
      ばんばひろふみともう1人で歌っていましたが、解散後はばんばひろふみ1人で
      歌っていました、もうお年なので下手になったんじゃないかな。
      「ひこうき雲」は50年前の曲で、ラミリーさん、まだ生まれていなかったとか。

  6. クロワッサン より:

    mayuさん 更新有難うございます。

    mayuさんの取り上げてくれた歌の数々、懐かしくて涙ものです。mayuさんと同世代なので、当時の世界や日本の混沌とした状況の時代を、思い出しました。

    昔の歌は、アメリカの歌も日本の歌も、切なくなるようなメロディーが美しかったですね。

    フォーククルセイダーズの解散コンサートに行った思い出があります。確か1年位で解散した気が……

    フォークではありませんが、荒井由美の「あの日に帰りたい」も好きです。

    わたしも30年前から、流行り歌に付いていけなくなりました。

    • mayu より:

      クロワッサンさん

      邦楽、洋楽が豊富な時期でしたよね。
      中学生だったか高校の時に、ビートルズが来日してビートルズも聞きました。

      昔の曲はシンプルだけど美しいメロディが多くて、覚えやすいのも良かった。
      フォーククルセイダーズの解散コンサートに行かれたのですか、良い思い出でしたね。
      はしだのりひこさんと、北山修さん、加藤和彦さんが不仲になり、はしだのりひこさんは
      別のグループを作り、北山さんと加藤さんの2人、デュエットで「あの素晴らしい愛をもう一度」
      などヒット曲を出したんですよね。
      ユーミンは荒井由実時代の曲の方が好きでした。
      やっぱり30年くらい前から着いて行けなくなりました、どうしてだろう。

  7. 白雪山羊 より:

    mayuさん、こちらも更新有難うございます。

    「明星」の歌本、懐かしいですね~(^.^)♪
    私はピアノを習う前にエレクトーンを習っていて、コード名(C、Amなど)が書いてあると左手は伴奏できる為、嬉しくて買っていました。

    吉田拓郎の「夏休み」は親がよくカセットで聴いていて、子どもの頃一緒に聴いていました。
    反戦歌と言う方もいるんですか、ただのんびりと聴いていました…

    mayuさん、ギター弾けるんですね!
    昔、少し挑戦してみたのですが、指が太くて短いせいか?下から弦を押さえる(左手)やり方が自分には何故か難しくて、早々と挫折しました(苦笑)。

    • mayu より:

      白雪山羊さん

      エレクトーンを習っていたのですか、それなら左手のコードを覚えるのに
      明星、平凡の歌本は便利だったでしょう。
      フォークギターは基本はコードを覚えるだけなので、簡単でした。
      アルペジオは雰囲気が良いんです。私は手が小さいので、押さえるのに
      省略できる所は省略していました(^^;) スリーフィンガーは全然出来ないです。
      今は手の小さい人用のギターが売られていて、また弾きたいなと思う時がありますが
      再度習わないと弾けないですねぇ。

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