こんにちは。百合子さま「老衰」による薨去から皇室もいろいろと忙しいですね。
意外と早かった天皇皇后夫妻の弔問から始まり皇族方の弔問、天皇皇后夫妻は早く弔問して良かったです、後がつかえていますので。佳子さまと愛子さまの鴨場接待中止も決まりました。こちらも中止になって良かったです。毎回、毎回、愛子さまの「初めてシリーズ」に付き合わされる、ただでさえ多忙で痩せた佳子さまですから。
庶民では葬儀に当たる「斂葬の儀」は11月26日に決まり、喪主はやっぱり彬子さまでした。
文藝春秋の彬子さまの手記を10年振りに探し出して読んだのですが、寛仁殿下薨去の時から信子さま外しが決まっていました。
当時、信子さまと彬子さま、瑶子さま姉妹のゴタゴタは週刊文春で読みました。dマガジンに登録していなかったので買って読んだのだと思いますが、断捨離をした時に週刊誌は捨てたので今は読めないのが残念。かろうじて文藝春秋は捨てなかったようでしたが、それほど詳しく読まなかった記憶があります。今回もそれほどキッチリは読みませんでした。 この当時から彬子さま苦手が始まりました。
何というか、彬子さまって本当に選民意識が強い人だな~と、テレビ、マスコミに出る顔と実態は違うんじゃないかと、私の推測です。凄いファザコンで顔もよく見ると本当にソックリです。性格も似ているんじゃないかな。
瑶子さまは斂葬の儀に茶髪ピンクのメッシュで出てくるのか、それとも普通の茶髪に染め直したかな。( ゚Д゚)
文藝春秋の記事の一部をスマホで撮影して百合子さま薨去関連記事の下に載せました。下手な写真で見にくいかと思いますが、読めたら読んでみてください。
※百合子さまの本葬「斂葬の儀」、26日に豊島岡墓地で…喪主は孫の彬子さま
三笠宮妃百合子さまの逝去を受け、宮内庁は15日、本葬にあたる「 斂葬れんそう の儀」が11月26日、豊島岡墓地(東京都文京区大塚)で営まれると発表した。喪主は孫の彬子さまが務められる。
逝去された三笠宮妃百合子さま 11月26日に一般の葬儀にあたる 「斂葬の儀」|TBS NEWS DIG
※両陛下、三笠宮邸を弔問 上皇ご夫妻、皇族方も次々に
天皇、皇后両陛下は15日、三笠宮妃百合子さまのご遺体が安置された赤坂御用地(東京都港区)内の三笠宮邸を弔問された。皇居を車で出発した両陛下は午後0時10分ごろ、巽門から御用地内に入った。天皇陛下は黒のスーツ姿、皇后さまは黒の服と帽子を着用。弔問を終え、約15分後に南門から出た。
両陛下に続き、御用地内にお住まいがある上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と次女佳子さま、長男悠仁さまが弔問。両陛下の長女愛子さま、寛仁親王妃信子さま、常陸宮妃華子さまも宮邸を訪れた。
側近によると、両陛下と愛子さまは百合子さまの逝去に心を痛めており、日頃から良くしてもらったことに深く感謝し、心から哀悼の意を表している。
上皇ご夫妻は百合子さまを何かと頼りにしており、逝去の知らせを受けた際は、深い悲しみをにじませていたという。秋篠宮ご一家も逝去を悼み、冥福を心から願っている。側近は「殿下方は大変お寂しい思いでいらっしゃることと思う」とした。
記事出典 時事通信 https://www.jiji.com/jc/article?k=2024111500762&g=ryl
※百合子さま薨去による皇族方の服喪、佳子さまと愛子さまの外交団鴨場接待中止
宮内庁は15日、三笠宮妃百合子さまの逝去を受け、天皇、皇后両陛下と皇族方が同日から喪に服されると発表した。
期間は両陛下と長女愛子さま、上皇ご夫妻、秋篠宮ご一家、常陸宮ご夫妻が5日間、寛仁親王妃信子さま、三笠宮家の彬子さま、瑶子さま、高円宮妃久子さま、承子さまが30日間。
19日には同庁の埼玉鴨場(埼玉県越谷市)で外交団接待が予定されていたが、取りやめとなった。接待はコロナ禍を経て5年ぶりに行われ、愛子さまと秋篠宮家の次女佳子さまが出席する予定だった。記事出典 時事通信https://www.jiji.com/jc/article?k=2024111500979&g=ryl#goog_rewarded
※百合子さま死因は「老衰」
「謹んで哀悼の意を表する次第であります」三笠宮妃百合子さまの薨去(こうきょ)を受けて、宮内庁では15日午前11時ごろから諸橋省明・宮務主管らが記者会見し、これまでの経過などについて説明した。永井良三・皇室医務主管も同席し、死因について「老衰」と説明。苦しむことなく息を引き取られたと明らかにした。
(産経新聞)
最期をみとった皇族や親族については「差し控える」としたが「特にお苦しみになるようなことはなかった」と説明した。(時事通信)
文藝春秋 2015年7月号 彬子女王特別手記 「母には三笠宮両殿下にお詫びして欲しい 」より
彬子女王の父、寛仁殿下薨去において喪主になった杉子女王。父の御意思であり三笠宮両殿下が「当然のことだから、しっかりおやりなさい」とおっしゃってくださった。と手記に書かれているので、彬子女王が喪主になるのは、寛仁殿下の遺言と当時はまだ健在だった三笠宮崇仁殿下と百合子さま、三人による信子さま外しはこの当時から始まっていた事が分かりました。(おじちゃまと称しているのは、東久邇宮信彦氏、照宮成子さまの長男2019年3月20日 74歳で逝去されています。)
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mayuさま、こんばんは。
個人的な感想ですが、彬子女王はコンプレックスがあるのではないかと感じています。
三笠宮家は、皇族と華族の婚姻で誕生しましたが、初代もまた皇族と華族の血を引いています。
でも彬子女王は皇族と平民のお子さまです。
薨去された百合子さまはプライドが高い方だったと思います。
それゆえに、信子さまを100%受け入れられなかったのではないかと感じます。
寛仁親王殿下のお相手は恐らく多々選択肢があったと思いますが、
信子さまを選ばれたのは、麻生家が資産家であることも大きかったのではないでしょうか。
麻生家の援助は相当のものだったと耳にします。
彬子さまは、お父様と祖父母を崇拝することで、自分の立ち位置を築いていったのでしょう。
百合子さまが当主となられ、寛仁親王家が三笠宮家に合流したというのも、
未亡人となった信子さまが、久子さまのように当主となるのを嫌ったからでしょう。
何しろ長男家ですし…。
そこらへんの平民の私の実家と比べるのも何ですが、
兄が急逝したときには、嫁ではなく、まだ30代でしたが、家を継ぐ甥が喪主を務めました。
それに誰も疑問は抱きませんでしたが、つまり三笠宮家の次代当主は彬子さまということなのでしょう。
三笠宮家は、機能不全家族なのかもしれませんね。
信子さまに当主への執着はないようですし、今でも単独ご公務の依頼もありますから、
ご自分のペースで、残された人生をお過ごしになられればいいですよね。
末筆ですが、百合子妃殿下の御霊の平安をお祈り申し上げます。
Sakiさん、こんばんは。
彬子さまのコンプレックスは三笠宮家ならでは、のコンプレックスになりますね。
上皇陛下、徳仁天皇、秋篠宮殿下の三人の妃は庶民の出ですから
母親が庶民というコンプレックスは無さそうに見えるんです。
百合子さまの実家は貧困により父親が自死しましたが、麻生家は
財閥でお金に困ることが無く、金銭面での援助によるコンプレックスは
ありそうだな~とは思っていましたが。
それにしても、お願いして嫁いで貰ったのに嫁と姑の関係は
庶民も皇族も同じですねぇ。
Sakiさんのお兄さんのケースを我が家に例えるとすると
旦那が亡くなったら息子が喪主をします。
女の子しかいなかったら、長女か婿取りをした女の子が喪主しますが、
何しろ皇族なので「順番が・・」(^^;)
信子さまはSakiさんが書かれたように、当主に執着がなく
寧ろ縁切りをしたいくらいかもしれませんね。
人生の後半に入ったのでマイペースでの暮らしが良いのでしょう。
mayuさん、こんにちは。
更新有難うございます。
斂葬の儀、やはり彬子さまが喪主でしたか。何だかなぁ~今、信子さまはどんな気持ちなのでしょうか。
鴨場接待があったのですね。中止になって良かったのではないでしょうか。
それにしても佳子さまは愛子さまのお付の人じゃないのだから…これからもこのパターンで行くのなら、佳子さまがお気の毒です。
彬子さまの手記、久々に読みました。
私が読んだので、エッと思ったのは
子どもの時に母と一緒にお風呂に入っていたが、どこにもアザはなかった。
だから母は父に暴力を振るわれていない…みたいな手記でした。
確か週刊文春か週刊新潮。
彬子さま…DVは精神的なものもあるのを知らないのだろうか、と思ったものです。
白雪山羊さん、こんばんは。
彬子さまの喪主はやっぱりでしたね。
寛仁殿下、三笠宮大殿下の時は百合子さまの代理喪主を
やっていたので信子さまが喪主になるワケが無いと思ってました。
鴨場接待があったようで中止と書かれていました。
愛子さまへの付き添いも悠仁さまが成年式、加冠の儀を
迎えるまででしょうねぇ。
それ以後は悠仁さまが注目の的になるでしょうし。
白雪山羊さん、よく覚えていましたね。
私は週刊文春に書かれていた事はもうほぼ忘れてしまいました。
週刊新潮は読まなかった記憶があるので週刊文春だけしか分からないので
今も読めるなら読んでみたいものです。
痣が残るほどの暴力が無くても、軽く叩いた、平手打ちした、
物を投げつけたりして怖がらせる、いろいろ有りますし
三笠宮東邸には入れないトラウマがあるので怖かったはずですよね。
こんにちは。
やはり老衰でしたか。昨年義父が亡くなったとき、本来は病名があったのですが老衰と表記すると物事がスムーズに運ぶと旦那が申しておりました。なので年齢的にも準ずるかなぁと思い以前申し上げた次第です。
鴨場接待が中止になったことは良かったです。このような状況ですので招待予定者も納得ですし、何分にもどこから見ても愛子さんの面倒を佳子内親王が担当する事が明らかでしたので、腑に落ちませんでした。周りが腫れ物に触るように愛子さんの初めてを計画するのではなく、愛子さんが自立して公務出来るようにすることが第一かと思います。
しかし元に戻り、「斂葬の儀」の喪主は彬子女王ですか。大方の予想でしたが、この三笠宮家のお家騒動は奥が深そうですね。私も彬子女王は選民意識が強い、人前に出る顔と実態が違うに票をいれます。顔だけでなく中身も父譲り、上から目線バリバリです。ウロですが、寛仁親王殿下もかなり癖が強い方だったように記憶しております。週刊誌等はまともに解釈してはいけないと存じていますが、手記を拝見し、聡明な彬子女王でありますがプライドが高過ぎで人格的には?がいっぱいでした。お母様に謝罪を求めていますが、同じ事をしている人皇室にはまだいますよ、Mさんが。
マグノリアさん
100歳超えですからね~容体悪化報道から7日間、よく持ったと思いました。
特に悪い病気に侵されて亡くなる場合は別にして、90歳も超えると
心臓麻痺でも心不全、眠るように亡くなるのは老衰でしょうね。
愛子さまは1人では不安、一人っ子なので兄弟姉妹もいない、
釣り合いの取れるのは佳子さましかいない事もあり、随分と重宝に
使われているな~と不快でした。中止になって良かったです。
彬子さまの手記はまだ30代の若い自分が三笠宮家、他の皇族方の
チカラを借りして立派にお努めを果たしました~の報告みたいな感じで
あんまり読む気はしませんでした。
夫婦関係が上手くいかないのも、信子さまが悪いと教え込まれたのか
母親に対しての憎悪のようなものを感じました。