週刊SPA!という週刊誌、去年12月25日号の記事で炎上したこともある、
右寄り雑誌のようで左寄りの時もあり、小林よしのり氏「ゴーマニズム宣言」を
連載している。2019年4月2日号、3月26日に発売されて3週間になるので
連載している倉山満氏の言論ストロングスタイルに掲載された記事と関連して
いろいろと異論はあると思いますが、虎ノ門ニュース記録として残すことにした。

皇族に人権はない。いつから日本人は当たり前の事実を忘れたのか?

皇族に人権はない。いつから日本人は、こんな当たり前の事実を忘れてしまったのか。日本国が保障する人権とは、日本国憲法第3章に書かれている「国民の権利」の事である。同章には、第13条の生命幸福追求権から第40条の刑事補償まで、人権カタログが並んでいる。憲法典に書かれていない権利は第13条の幸福追求権に含まれるので、日本国が保証する人権とは、憲法が認める国民の権利のことなのだ。

さて、皇族は国民ではない。そもそも戸籍がない。 皇統譜という、皇族のための特別の名簿で分けられる。さらに現実は過酷で、義務だけあって権利はない。参政権、居住移転、職業選択の自由、婚姻の自由の全てが存在しない。幸福追求権(本来の意味は財産権)は極めて制限されている。名誉毀損も、され放題である。普通の人間なら「奴隷的拘束」としか思えないような境遇で、朝から晩まで働き通しである。

普通の国の王族は義務の見返りに特権を享受しているが、我が国皇族の方々は慎ましやかに暮らしている。日本を守るためだ。皇室とは日本そのものである。日本とは神話の時代にさかのぼる 万世一系の皇室を頂く国なのである。 初代神武天皇の伝説以来、我が国は一度も途切れることなく、この国の形を守ってきた。それが嫌な変わり者もいるだろうが、事実は事実である。皇室を守るとは、日本を守ることなのである。

現在、御代替わり直前の皇太子殿下より若い親王(男性皇族)は、秋篠宮と悠仁の両殿下しかいない。このまま悠仁親王殿下が御即位の時、殿下より親王は一人もいなくなる。

第52代嵯峨天皇や第108代後水尾天皇のように、多くの子供に 恵まれれば良いが、側室が存在した時代を望んでもしかたあるまい。私は、側室制度に絶対の反対はしないが、いまだに賛成する方法を示してもらったことがない。また、近代では第124代明治天皇は5人の側室から5男10女をもうけたが、成人した男子は御一人だだけだった。皇統保守は悠仁殿下のお世継ぎ作りに懸かっているのだが、一夫一婦制を維持した場合、皇后となる女性のプレッシャーは想像もつかない。

皇統は、いわば一本の糸でつながっているのだが、古来より皇室は皇族の支えによって守られてきた。将来、天皇となられる悠仁殿下と、未来の皇后陛下を守るべき皇族の存在は不可欠なのである。

さる、3月20日の参議院財政金融委員会で、注目の質疑が行われた。占領期に臣籍降下させられた元皇族の子孫(元皇族特別して旧皇族と呼ばれる)の皇籍復帰について問われた。これに安倍晋三首相は「 GHQ の決定を、覆すということは全く考えてはいない」と言い切った。質問した国民民主党の大塚耕平議員は「戦後政治の総決算をする気はないのか」と呆れていたが、続く質問が鋭かった。

宮内庁に「成子内親王と東久邇宮盛厚様の 系譜に、男子が随分いらっしゃるということは認識として正しいでしょうか」と問いただした。「承知していない」と逃げる宮内庁野村善史 審議官に「それでは調べて一度解凍してください。私の存じ上げている限りでも、内親王と東久邇宮様の 系譜に、もう3代にわたって、男子が今もご健在であると、かなりの人数であると理解しております」と締めた。丁寧に解説しよう。

虎ノ門ニュースより

3月20日に死去した、昭和天皇の孫で、天皇陛下のおいに当たる旧皇族の東久邇信彦氏
祖父は、終戦直後に首相を務めた東久邇宮稔彦氏。母親は昭和天皇の長女、成子さん。
昭和22年に開かれた皇室会議で皇籍離脱した。
大学卒業後、三井銀行に勤務し、日本タイ協会常務理事や全日本野球会議名誉会長などを務めた。

出典 https://matomedane.jp


悠仁さまの又従兄弟  昭和天皇の皇女成子さんに3人の男子と5人の男の孫 

我が国の皇統は一人の例外もなく男系継承されてきた。ただし、時に男系は女系によって補完されてきた。マッカーサーは11の宮家を廃絶、26人の皇族を一斉に臣咳籍降下させた。11宮家の方々は、男系では伏見宮の子孫にあたる。男系とは父親の父親・・・・をたどっていくと天皇にたどり着くという意味であるが、伏見宮は崇光天皇(1398年崩御)の第一皇子である。最近話題の竹田恒和JOC 会長も、男系では崇光天皇の子孫である。

あまりにも血が遠いのは、自明だろう。皇室でも「五世の孫」の原則があり、天皇の男系子孫というだけでは皇位継承資格はない。それを言い出したら、平将門も近衛文麿も男系子孫である。原則として天皇の五世孫(玄孫)は、臣籍こ降下する。伏見宮家は、例外とされてきたのだ。明治の時代、後続確保の必要性から、明治天皇は自らの娘である内親王と伏見宮系皇族の婚姻を進めた。 結果、皇室の本流との血が近くなった。たとえば、竹田恒和氏は女系により明治天皇の曾孫である。

同じく、昭和天皇も東久邇宮家との婚姻を進めた。東久邇宮盛厚王(終戦時の稔彦首相の息子)と昭和天皇の皇女である成子内親王はご結婚され、その子が最近お亡くなりになられた信彦氏である。大塚氏が問いただしているのは、信彦氏に子女がいるではないか、との事実だ。信彦氏の母は、今上天皇の姉上にあたる。また祖父母全員が皇族である。(母方の祖父は昭和天皇)。

20年ほど、男系か女系かの二者択一の議論が行われてきたが、いずれにも問題がある。いくら男系子孫であっても、近衛文麿が皇族や天皇になって良いわけがない。五世の孫の 原則があるからだ。同時に、内親王がフリーターを連れてきて結婚するまでは認めても、その配偶者が皇族になり、その二人から生まれた子供が皇族や天皇になって良いわけがない。

我が国にこれを認めた先例はひとつもない。
皇室を議論する上で、最も大事なのは先例である。
歴史の中から吉例 を発見するかにあると 融点については、議論の余地がない。
一方、元皇族と旧皇族の皇籍復帰は多くの先例がある。

特に一例ずつあげる。定省親王は、当時の藤原氏の圧力により臣籍降下 させられ、源定省となったが、皇籍復帰して第59代宇多天皇となられた。臣籍にあった源定省 の子が源維城であり、父の皇籍復帰に伴い親王宣下され、 維城親王となった。後の第60代 醍醐天皇である。宇多天皇は元皇族から、醍醐天皇は旧皇族から天皇となった先例である。何も寛平の治、延喜の治で知られる名君である。

今こそ皇統保守のために、どなたに皇統に復帰していただくかを具体的に議論すべき時が来た。こうした際「人権」を持ち出す論者がいるが、目もくれる必要はない。皇統保守は、婚姻の自由に優先する。あえて言う。皇族に人権はない。だからこそ、 皇族は貴いのだ。

長文なので誤字脱字有ると思います。




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