午後7時過ぎだろうか、ニュース速報で渡哲也さんの訃報を見ました。8月10日に肺炎で逝去されたとのことでした。週刊誌で石原プロを畳むなどの記事は読んでいましたが、渡哲也さんの体調がよくなかったこともあったのでしょう。石原プロを続けたのは、まき子夫人の生活を維持する為でもあった、のような事も週刊誌に書かれていましたが、故石原裕次郎の奥様、石原まき子さんも87才になり、就活の年代になったこともあったのかもしれません。
渡哲也さんは石原プロに入らなければ、弟の故渡瀬恒彦さんのような活躍が出来たかもしれませんが、演技のことは分かりませんが弟の渡瀬恒彦さんは上手でした。
私が初めて渡哲也さんを知ったのは、映画「愛と死の記録」でした。まだ中学生の時だったと思います。(調べたら1966年の映画でした)友達と映画館で当時流行っていた青春恋愛映画のひとつ、悲恋物語のように見ました。その後、40代~50代頃だったかな?BSで「愛と死の記録」を見ました。
その後は60代に入ってCSで「愛と死の記録」を見ました。映画って観た時の年齢によってこうも違う感覚で観るのだと思いました。 40代~50代は原爆の恐ろしさ、被爆による白血病という病気、今なら治療方法もあっただろうなとか、涙、涙で観たものですが、60代に観た時にこの映画は反戦映画だったんだな~と分かったのでした。
「愛と死の記録」の渡哲也さんは物凄く恰好良くて素敵な青年でした。共演した吉永小百合さんと恋人関係になり、2人は結婚するのだと思ったのですが、吉永小百合さんの両親に反対され2人は別れたと、これは週刊誌で読んだことです。吉永小百合さんは売れっ子女優でした。両親の為に働かざるを得なかった、両親の生活を支えていたようです。
渡哲也さんは見た目は身長も高く体格が良いのですが、若い時は肺疾患、その後は直腸癌など以外と大病をしていた方でした。何年か前に「長崎ぶらぶら節」で昔の恋人だった吉永小百合さんと共演しこちらもCSで観ました。映画よりテレビの西部警察のような派手な刑事ドラマもよく観ました。当時は家にテレビが一台しかなかったので観ていました(苦笑)
8月6日は広島に原爆が投下された日で、8月9日は長崎に原爆が投下されました。その翌日に、渡哲也さんは逝去されました。今日14日にご逝去されたことを発表、明日は終戦記念日。
天皇皇后両陛下が全国戦没者追悼式にご臨席。コロナ禍でどのような式典になるのかと、録画設定しておきました。
渡哲也さんのご冥福をお祈りいたします。
「大都会」「西部警察」など数々のドラマや映画で存在感を示した俳優、渡哲也さんが10日に肺炎で死去していたことが14日、分かった。78歳だった。この日、近親者のみで密葬が営まれた。複数の関係者によると、入院先の東京都内の病院で親族に看取られ、静かに息を引き取ったという。2015年6月に心筋梗塞の手術を受けて以降、入退院を繰り返し、ここ数年は呼吸器疾患などで自宅療養を続けていた。今年6月、石原プロモーション創業者でもある俳優、石原裕次郎さんの生前の映像と共演した宝酒造CM「よろこびをお伝えして50年~幻の共演~」のナレーション録りを自宅で行ったのが最後の仕事だった。7月27日に完成作を見た際には何度もうなずき、書面で「最後のコマーシャルを裕次郎さんとの共演で終わらせていただきますのは感慨深いものがあります」とコメントを寄せた。その10日前には、渡さんが2代目社長を務め、現在相談役を務める石原プロが来年1月に解散することを発表。渡さんは周囲に「時代の流れで新しい人たちが出てくる。我々は一歩下がって生きていかないと」と話していた。裕次郎さんが亡くなる直前、渡さんに託した「石原プロを畳んでくれ」という遺言を果たして天国へ旅立った。
以下省略 記事出典 サンスポ 全文は以下のURL
https://www.sanspo.com/geino/news/20200814/geo20081419200018-n1.html
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吉永小百合さんのwikiを見てみましたら、お父様は大蔵省勤務ではなく、会社を経営したが失敗したとあり、ラジオ出演料が家計を助けたということですので一家の大黒柱になっていったのでしょうね。
高校に通学する写真を見た時にお父様のことが書いてあったような気がするのですが、記憶違いでした。
お嬢様育ちのように見えましたが、貧しくても、東大卒の父親と、まずまずの出の母親の元に生まれ育っているので、
やはりお嬢様ですよね。
最初の都立駒込高校は当時は都立の上位校でした。
頭も良いので、文化人にいがちな反戦運動家になってしまったのかも。
今はクローズされているBBさんの所で知りました。
ミラージュさん
吉永小百合さんは「キューポラのある街」で売れて、お母さんは
ステージママのようだったとか。亡くなった美空ひばりさんと同じですね。
子供の稼ぎで親が生活するって、親としては情けないような気がします。
高齢者、身体が悪い、など理由があるのなら別として。
それと、お父さんが東大ってことで、吉永さんも学歴に拘りがあったのか
早稲田に入学していました。
吉永小百合さんも両親の反対がなければ、渡哲也さんと結婚していたでしょうね。
おはようございます。
昨夜のニュース速報のテロップにびっくり、そしてmayuさんがさっそくブログにあげてくださっていました。
ありがとうございます。
正直私はあまり渡哲也さんを存じ上げません。
西部警察は見ていません。
弟さんの方がテレビで拝見する機会が多かったです。
40年ぐらい前、何回か渡哲也さんのご自宅前を通った時、すっごい豪邸に驚いた記憶があります。
ご病気がちでご自身お辛かったと思いますし、石原プロの運営も大変だったでしょう。
天国では弟の渡瀬恒彦さんや石原裕次郎さん、ほかたくさんの方々と体の痛みのない世界でお酒を酌み交わしていらっしゃることでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。
マグノリア姐さん、こんにちは。
テレビや映画で見なくても、石原軍団で知名度は有りましたから、
知っている人は多かったと思います。
私もどちらかといえば、弟の渡瀬恒彦さんを見る機会が多かったな。
役者としては、弟の方が上手かったような気がします。
豪邸に住んでいたのですか~~かなり稼いだのでしょうね(^^)
石原裕次郎はあまり知らないのですが、知っている年代の俳優が
亡くなると自分も年を取っているんだな~なんて思ってしまいます。
次から次へと病魔に襲われて気の毒でしたが、やり切った人生でしょうネ。
渡哲也さんの訃報をご紹介していただき、ありがとうございます。
「肺炎」とのみ表示なんですよね。これはコロナ肺炎ではない肺炎なのか?多分そうだと思います。でなきゃもっとマスコミがわあわあ騒いでいたことでしょう。そうですね。考えてみれば最近の軍団の解散話は、渡氏の体調悪化が背後にあったんだろうと今さらながら思います。あの折にはまき子夫人の遺産の行方などをマスコミは注目していましたが、(ご自分側の甥の方に譲られるみたいですね)本丸はそうじゃなくて、長年軍団を支えてきた渡氏の体調にあったんだと今さらながらわかりました。
吉永さんというと、反戦女優のような位置づけで思っている人が多い気がしますが、彼女の原点はこの映画にあったのかもしれません。私、吉永さんが渡さんと恋人関係だったことは、今回のmayuさんの記事で初めて知りました。このお二人が結婚していて、お子さんが生まれていれば、どんな美男美女だったのかなと思うと残念な気がします。結局彼女はその後26歳のときに、親の大反対を振り切って当時40代、かなり年上の今のご主人と結婚された。誰と結婚しても反対されるのなら渡氏と結婚してほしかったなぁ~。しかし吉永氏といい、三浦春馬氏といい、子供が稼げると親は金銭的に依存してしまうのかしら?吉永氏は親の呪縛から逃げられて、そういう意味では良かったです。
やしまさん
肺気胸とか沢山の持病があり亡くなったようでした。
コロナだったらもっと騒いでいたでしょうね。
まき子夫人の財産は甥に譲るとか、週刊誌にはいろいろ書いていましたが
財産があって子供がいない場合は面倒ですね、美空ひばりも甥っ子を
養子にしていましたが。
渡哲也さんと吉永小百合さんが結婚したらお似合いの夫婦で、お子さんが
産まれたら美男美女だったかもしれませんが、両親の大反対で別れたとか。
15才も年上の岡田さんと結婚、これも大反対されての結婚で両親とは
縁を切ったとか、週刊誌に書かれていました。
吉永小百合さんが、なんでこんなおじさんと結婚するのか、と思ったものでした。
子役から活躍していた親でも、キチンとした仕事をして収入がある親、
経済的に子供に依存しなくても生活できる親だと良いのですが、
吉永小百合さんや三浦春馬さんは依存されて気の毒でした。
子供が売れっ子になって稼げても普通に生活している親の方が多いとは思うんですが。
mayuさん、こんにちは。
youtubeに、人世の最後は吉永小百合さんと一緒に
という投稿があり、ガセだとばかり思っていましたが、実際に恋人だったのですか。
初めて知りました。
吉永小百合さんのお父様は大蔵省勤務だと昔何かで読んだような記憶があるのですが、子の稼ぎに依存していたとは、こちらも驚きです。
私は日活の映画は全く観たことがなく、いわゆる青春映画もバカにしていたようなシニカルでしたから渡哲也さんの存在そのものも知りませんでした。
享年79歳は今時では若いですよね。
ご冥福を祈りたいと思います。
戦没者追悼式典はNHKでは約550人の出席と言っていました。
安倍さんは今年も未来への言及。天皇は過去への深い反省。
マスコミはまたもや安倍さんを叩くのかな。。。
雅子サマ、登壇してた最初の礼ではバッグを腹のせ。
黙祷の時は今年も体が揺れていました。
女性週刊誌には、ちゃんと立っていられないほど体調は良くないのに責任感でお出ましされたと、又々上げ記事を書いて貰えるのしょうね。
良い御身分ですこと。
私は、これを確認してから後で黙祷。
いじわるで性格悪いわ~。
先日のご進講記事にもコメントしましたが、今日の式典でも二人の身長差がかなりあるように見えました。
ナルさん、縮んだのかしら?
ミラージュさん
私は中学生の頃から友達とよく映画館に行って青春映画を観てました(笑)
昔は二本立て、時には三本立てで上映していたので、3時間くらいは
映画館の中でした。洋画専門の映画館には高校生になってから行くようになり
多分、ロミオとジュリエットは高校の時に見た記憶があります。
吉永小百合さんはお父さんが東大、お母さんはピアノの教師だったかな?
妹さんがいましたが、見たことがないです。吉永小百合さんもピアノが
上手で映画の題名忘れましたがでも弾いていました。
戦没者追悼式典は遺族が220名とか、NHKの発表と違いましたが
新型コロナのせいで閑散とした式典になってしまいましたね。
私は雅子さまのバックの腹乗せは最初だけで、その後は椅子に置いたように
見えたのですが、体もそんなに揺れているように見えず、去年より
かなり進歩したように見えました。
天皇陛下はシークレットシューズを止めたんじゃないかな。
年を取るとヒールのある靴ではずっこけるので危険だし・・・
mayuさん、更新有難うございます。
渡哲也さんは、最近石原軍団を解散するニュースを見たばかりでしたから、大変驚きました…ご冥福をお祈りいたします。
それからお若い頃の映画の画像など、興味深く拝見しました。
(あまり変わらない様に見えました)
お二人、恋人同士だったんですか!?
私は「西部警察」のイメージが強いです。
子どもの頃、多分再放送で見ていました。
今なら無理なのでは?と感じる、爆発シーンの火薬の量とか(^^; サングラス姿の渡さんが懐かしいです。
もう15日になりました。終戦記念日の追悼の式典ですね。
白雪山羊さん、おはようございます。
渡哲也さんといえば、西部警察などド派手な刑事ドラマの印象が大きいのですね。
私が見た渡哲也さんの映画は本当に少なくて、一番印象深いのが
吉永小百合さんと共演した「愛と死の記録」でした。
2人はこの映画で共演してから恋人になり長年付き合っていたそうです。
78才は今の時代では若いので残念です。
今日の全国戦没者追悼式は220名の参加だそうです。
例年5000人に比べると1/25の出席者。なかなか感染者が減りませんね。