天皇陛下の生前退位まで5ヵ月を切って4ヵ月半。
師走の多忙な時期を過ぎれば後4ヵ月。
マスコミは生前譲位の言葉を使うようになってきたが、
私はあくまでも「生前退位」と書いていこうと思っている。
天皇皇后両陛下の「最後の」「最後の」がどんどん続いている。
ラストスパートに入り次は天皇皇后両陛下のフィナーレを
飾る為にマスメディアも大掛かりな報道をするはずだ。
そして、特に美智子さまは平民から皇室に初めて嫁いだ皇后として
歴史に残る伝説の人になるのだ!
普段は美容院で見ることぐらいの「婦人画報」では
新春特大号で天皇皇后両陛下の61年としてかなりのページ数で
天皇皇后だけでなく皇室のお宝など様々載せている。
「天皇陛下と皇后陛下の61年」で渡邉みどり氏が寄稿している。
天皇陛下と皇后陛下の61年
平成のいま、私たち国民にはお二人が夫婦としてもあまりにも
理想的な姿に映る。
中略
思い出されるのは”未来の皇后”のお妃選びが始まった昭和30年代、
宮内庁は対象として、旧皇族・華族の子女800人をリストアップし、
厳しい選考を重ねていた。
陛下自身も「妃は旧伯爵以上の華族出身者から選ばれるだろう」と
学友に語っていたが、あの夏、軽井沢で”たまたま”皇后さまに
出会ってしまった。恋に落ちてしまった。半年後、若き24才の陛下は、お妃候補に「正田美智子さんを候補の
1人として検討してみてください」と申し出たが、母君の香淳皇后をはじめ
皇室内からは猛反対され、国会でも
「象徴となるべき人が自分のしたいことをするようでは、
国民の尊敬と崇拝を得ることはできない」という趣旨の答弁がなされるほど、
当の正田家からも「あまりに身分が違いすぎる」と3度ご辞退の申し出。
天皇皇后両陛下の写真が沢山載っています。
結婚前の天皇皇后両陛下。
民間人初の皇室への御輿入れ。
十二単は新調すれば当時の金額で300万円を超えるため
香淳皇后が昭和天皇との御成婚で召されたものと同じ。
「質素に」という昭和天皇皇后陛下の希望に沿われ
袴だけが新調されたという。
美智子さま 国際舞台にデビュー
1960年日米修好100年記念行事。
当時のアイゼンハワー大統領とともに晩餐会に出席。
美智子さまが華々しく国際舞台にデビューされた。
皇太子時代の美智子さま、正装の袖無し、肩を出したイブニングドレスを着ています。
今にもずり落ちそうで似合わないけど、正装であることには変わりないです(^^;)
女性皇族方はいつから袖有り、デコルテの面積が狭いドレス着用が
定番になったのかな? 雅子さまに配慮してああいうデザイン?
この60年で両陛下が公式訪問されたのは通算59ヵ国。
即位の礼で着た純白の御衣
1989年1月7日に即位した天皇陛下。
1990年(平成2年)11月12日 午前9時 宮殿・松の間において
即位礼正殿の儀」が執り行われた。
その時の装束。820年、第52代嵯峨天皇の詔(みことのり)に
「はくの御衣」が天皇の神事の際の御服と定められた通り、
両殿下は最も尊い色とされる純白の御服をお召しになった。
(はくの文字がIMEパッドを使っても出てこないので平仮名にしました)
新天皇・皇后も純白の御服を着るのかしら?
着るとしたら、質素・倹約で上皇と上皇后が着用したもので良いよね。
天皇皇后両陛下の日本・世界への旅
黄色 三大行幸啓 394本。訪れていない県はありません。
青色 慰霊・被災地訪問 108本 平成の災害が見えてきます。
赤色 地方視察、各種式典の臨席などその他 366本
皇太子時代・・・49ヵ国
天皇即位後・・・34ヵ国
双方の訪問・・・24ヵ国
特集を組んだためページ数も写真も多く、全部紹介できません。
物凄いお金が掛かってるな!の御所、美術品は目の保養です。
当然、和のものが多いのですが、見事な献上品。
60年前の御成婚時は「質素・倹約」で香淳皇后の十二単を
着用した今上夫妻も、即位の礼では純白の装束を作りました。
その後、御所も新しく建てお出かけも多くなり、質素・倹約からは
かけ離れた皇族になっていきました。
渡邉みどり氏は意図せず書いたのでしょうが、当時の皇太子が
平民の美智子さまをお妃候補に入れたいと言った時に、国会では
「象徴となるべき人が自分のしたいことをするようでは、
国民の尊敬と崇拝を得ることはできない」
反対を押し切って美智子さまと結婚から、したいことをしてきた。
生前退位もしたいことをした結果。
子持ち共働き低層庶民、10連休はどうしたら良いのか?
保育園も10連休になるだろう、娘夫婦は10連休にならないので、
どうしたら良いのかとかなり心配しています。
私と旦那が協力しながら何とか10連休を乗り越えるしか無さそうです。