眞子さまと小室Kの結婚問題で秋篠宮殿下の誕生日会見が注目されているうちに、
退位まで半年切ってしまいました。来年5月1日からは新天皇皇后になり、
皇太子の公務も「最後」がつくようになってしまいました。
雅子さまは前日の第42回全国育樹祭の「お手入れ行事」に参加しましたが、
その後の懇談会は欠席。18日の式典に出席する為だろうな・・と書きましたが、
やはり式典には出席、式典後の育樹祭大会関係者との御昼食には欠席したと
思われます。出席したら記事にも書かれ画像もアップされるはず。
記事も画像も全く無いので欠席で間違いないでしょう。
ニュースでは2日続けてお出ましと放送されていますが、行事と式典だけ、
懇談会と昼食会は欠席で2日続けてと褒められるようなことでしょうか。
マスコミもあまり雅子さまをアゲない方が良いと思います。
で、雅子さま皇后になっても今のような式典、儀式のみ出席、懇親会のようなものは
欠席で済ませるつもりなのでしょうか? これが平成流?
今はマスコミも2日続けて・・と雅子(サマ)アゲをしていますが、新皇后になったら、
当然、美智子さまと比較され続けるでしょうね。
18日は美智子さま、水俣病患者の過酷さを描いた著書「苦海浄土」で知られる
故石牟礼さんの新作能を鑑賞しました。
美智子さまとは生前にも交流があり、2013年熊本県を訪問した際、患者と面会、
石牟礼さんが2月に亡くなられた時は、美智子さまは献花に行きました。
次期天皇皇后になる2人が、熊本県訪問の際、水俣病患者と面会どころか、
水俣病慰霊碑に献花すら出来ないことになるだろうと思います。
皇太子夫妻は水俣関連は全部スルーしています。
今の時代なら、眞子さまと小室Kの婚約内定にネットで大反対の声に反応し、週刊誌も
いろいろ書いていますが、皇太子と雅子さまが突然婚約内定発表したのは1993年1月19日、
25、26年前はまだインターネットが普及していなかった時代で、私のような庶民は
週刊誌やテレビで報道されたことをそのまま信じ込んでいたのでした。
皇太子殿下と雅子さま 最後”の全国育樹祭の式典に出席
皇太子さまは毎年、地方で開かれる七つの行事への出席を恒例とされてきた。
今年は17、18日に東京都内であった全国育樹祭が締めくくりの行事となる。
育樹祭は1977年に始まり、年ごとに開かれる都道府県が替わる。
皇太子ご夫妻時代の天皇、皇后両陛下が第1回から出席し、全国植樹祭で
昭和天皇と香淳皇后が植えた樹木の手入れをしてきた。皇太子さまは、
陛下が即位した89年から出席する。高校総体や献血運動推進全国大会など
四つの行事も両陛下から受け継いだ。
一方、国民文化祭と全国農業担い手サミットは、皇太子さまから参加するように
なった行事だ。ご夫妻で出席することもあり、療養中の皇太子妃雅子さまは今年
、育樹祭を含めて三つの行事に出席し、滋賀県と大分県を訪れた。
ご夫妻は来年5月以降、植樹祭や国体など両陛下が出席を恒例としてきた行事を
引き継ぐ。皇太子さまが関わってきた七つの行事は、皇位継承順位1位となる
秋篠宮さまらに引き継がれる見通しだが、宮内庁が秋篠宮さまの負担を考慮し
ながら調整している。毎日新聞 画像出典 毎日、朝日、時事通信 、産経
美智子さま水俣病の被害を訴え続けた石牟礼さんの新作能鑑賞
皇后さまは18日、東京都渋谷区の国立能楽堂を訪れ、生前に親交があった
作家の故石牟礼道子さんの追悼公演で、石牟礼さん原作の新作能「沖宮(おきのみや)」
を鑑賞された。石牟礼さんは水俣病患者の過酷さを描いた著書「苦海浄土」で知られ、
今年2月に90歳で死去。皇后さまは4月、都内で開かれたしのぶ集会にも、開会前に
会場を訪れ献花した。
沖宮は、石牟礼さんの出身地、熊本県天草地方を舞台に、村のために人柱となった少女を、
島原の乱で亡くなった天草四郎の霊が導く物語だ。皇后さまは真剣な表情で見入った。
水俣病の被害を訴え続けた石牟礼さんは、皇后さまに手紙を送るなどし、
胎児性患者との面会を求めた。
天皇、皇后両陛下は2013年、熊本県を訪問した際、患者と面会した。(共同)
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