サイトアイコン これでいいのだ日記part2

同じ名前「ケイ」でも真逆過ぎてガッカリ感が半端ないのだけど。

昨夜の仕事から帰宅する守屋慧さんと、今朝出勤する守屋さんの
映像と画像、更にデジタル朝日に載っていた笑顔の守屋さんの
画像を見ると、若い頃の、坂東玉三郎と美川憲一とK-POPの
今も人気があるのかな?キム・ヒョンジュンを足して3で割ったような
人だなぁ~と思いました。


キム・ヒョンジュン知らない方の為に、下がキムさん。
画像https://blogs.yahoo.co.jp/chanchankoiro/33592542.html

高円宮妃久子さまの三女、絢子さまが結婚することが明らかになってから
一夜明けた27日朝、お相手の守谷慧(けい)さん(32)が東京都港区の
自宅マンションから出勤した。
スーツ姿の守谷さんが現れたのは、午前6時50分ごろ。
報道陣から「一夜明け、今のお気持ちは」と声をかけられると
緊張した表情で会釈を繰り返し、足早に立ち去った。産経ニュース


自宅に向かう守谷慧さん=東京都港区で2018年6月26日午後9時35分

経歴、職場、家族、容貌、どれも絢子さまにはもったいないような人で
性格はどうか知りませんが、今の所、ネットでの評判も眞子さまが
小室Kと婚約内定した時とは全く違って悪くない。

偶然だとはいえ、名前が同じ「ケイ」とは・・・
同じケイでもこの違いに、何だかガッカリ感が半端ないのですが。
守屋慧さんにガッカリしたのではなく、小室Kに改めてガッカリなのです。



昨日の夜だったかな?ニュースで守屋さんのFacebookに
マラソンかトライアスロンでゴールした写真がアップされて
いたようなので、守屋慧で調べましたが該当者無し。
ローマ字かハンドルネームか、削除したかもしれませんが、
本物のスポーツマンでした。

小室Kが婚約内定会見て言っていたのは、
「身体を動かすことも好きで、四季折々のスポーツを楽しむこともあります。」

職場については、会見前にアルバイト、フリーターと書かれた為か

現在、奥野総合法律事務所・外国法共同事業にて正規職員として働いているかたわら、
社会人入学した大学院に夜間で通っております。

最悪なのが
将来のことにつきましては、宮様とご相談しながら考えて参りたいと思います。

想像で、小室親子は絢子さまの婚約内定とお相手の守屋さんの
経歴など諸々を見ても、落ち込むようなことはないのでは?と思いました。

年が僕より5才年上、僕は小学生の時に大黒柱の父親を亡くした。
お母さまが苦労して女手ひとつで僕を育ててくれた。
僕だって守屋家のような家に産まれれば同じ経歴がついたはずだ。

そして、圭与さんは貧乏人がよく言う言葉「よそはよそ、うちはうち」
眞子ちゃんの両親も、天皇陛下も結婚を了解したのに、Aさんが
ぺラペラ喋るからこんなことになったのっ!
あのお金は貰ったもので返す必要が無いのよ。
大丈夫よ、圭ちゃん、結婚は諦めないで!結婚したら何とかなるから。
とかなんとか言っていそう・・・((+_+))

高円宮久子さまに対しては、あまり良い印象は無いのですが、
出自は家系図を見ると凄い上流階級だし、久子さま自身の経歴も
立派なものです、三笠宮大殿下が目をつけたのも納得。

不幸なことに2002年11月21日、高円宮憲仁殿下が47歳で亡くなり
久子さまも1才年上なので、48才で未亡人になってしまいました。
それから、東奔西走、高円宮の後を引き継ぎなんでもやってきたのでしょうね。
実際はどういう方なのか、明るくて人付き合いがよくて活動的。
あまりウジウジしないタイプで男勝りな所があるのかな。
3人の女王の子育て、承子女王には手を焼き悩んだでしょうが、
典子女王の嫁ぎ先は、出雲大社宮司千家国麿さん。
年齢が若ければ、黒田清子さんが嫁いでもおかしくない家柄。
「若姫君様」と呼ばれる立場になったのに、結婚生活が上手くいっていないようで、
頻繁に実家に帰っているとか。

次に三女の絢子さまのお相手も、久子さまが紹介された。
こちらは大層な名家ではないが、小室Kを見た後は普通の家でも
借金がない、正社員で働いている、これだけでも良くなって見える
現象に陥っていたのに、父親、亡くなった母親の経歴も見事で
結構なハイスペックと言われているじゃないですか。
おまけに見た目も、顔デカ、短足の小室Kとは真逆だし。
一期一会で終わらない、ご縁を長く広く続けて行った成果でしょうか。

久子さまの高笑いが聞こえてきそうです。

なんだかな~眞子さまがお気の毒で・・・こっちまで落ち込み気味。
眞子さま落ち込んでいるかな、それとも吹っ切れているのかな。
皇族は国民に祝福されない結婚は駄目なんたと分かってほしい。


本日は祖父の故三笠宮崇仁さまの月命日で、絢子さまは午前10時半ごろ、
母久子さまと豊島岡墓地を訪れ、待ち受けた報道陣に車内から会釈をした。

守谷さんは午前7時前に都内の自宅を出発。会社前で報道陣に「おめでとうございます」
と声をかけられると、やや緊張した表情で立ち止まり、深く一礼して
「ありがとうございます」と述べた。

途上国の子らの教育・生活支援をするNPO法人「国境なき子どもたち」の理事を務め、
マラソンやスキー、トライアスロンをこなすスポーツマン。
絢子さまもスキーが堪能で、大学時代はサッカー部のマネジャーだった。
関係者によると、2人は久子さまの紹介で昨年12月に出会ってすぐに意気投合し、
都内の飲食店でデートを重ねるなど、交際を深めてきた。

法人の寺田朗子会長(72)は守谷さんについて「今時珍しい、あったかくて爽やかな青年」
と話す。母季美枝(きみえ)さんも法人の元専務理事で、2015年7月に亡くなるまで
カンボジアで若い女性らの自立支援や職業訓練などに励んだ。
守谷さんは母の死から半年後、「母が働いていた地へ」とカンボジアを訪れ、若い女性らが
絹製品を作る様子などを見学。その後法人の会員となった。
寺田さんは「すてきな2人が結ばれてうれしい。
お幸せな家庭をつくっていただきたい」と語った。デジタル朝日

今日は孫守りとガッカリ感もあり疲れ、コメ返を省略させてください。
秋篠宮家はなんでこうなるの?な気持ちもあって、慰めてください(苦笑)


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