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香淳皇后の晩年画像と香淳皇后の父親久邇宮邦彦王そっくりな皇太子【妄想有り】

皇太子がデンマーク訪問をしていますが
眞子さまがブータンに行った時のように
追っかけ画像収集して書く意欲が出ません。

デンマーク女王と昼食会

ベルギー王室の王族と納まっている画像があれば
ベルギー王室の女王、妃殿下など拝見したくて
ポツリポツリと画像を拾ってはいますが・・・
皇太子を見たってつまらないし

と、ここまで書いて
「皇太子を見たってつまらないし」は今も昔も同じだ。

皇太子と私は6才違い。

皇太子が若い時から私のようなド田舎娘からも
「見たってつまらないし」の対象だった。

皇太子の若い時のエピソードでブルック・シールズが好きだとか
柏原芳恵のファンで薔薇の花一本プレゼントを持って
コンサートに行ったことなどリアルタイムで覚えている。

そもそも私のタイプじゃない、同類嫌悪で
身長が低いのが嫌だ、ヘアスタイルがゲゲの鬼太郎みたいで
鬱陶しい、顔立ちはそーーんなに悪いとは思わなかったけど
せめて、昔の朝ドラ「澪つくし」に出ていた、沢口靖子と共演した
川野太郎みたいなら、皇太子はもっとモテたはずだよな~
切れ長の目とか皇太子を更に良くしたみたいで似ていたところが
あったんだよ、年齢も1才年上の似たり寄ったりで178㎝の高身長でした。

皇太子が川野太郎のような風貌だったら良かったのに。

画像ミドルエッジより



羽田からのお見送りからデンマークに到着、それ以後も
サラサラーーっと見たけど、皇太子より身長の低い男性がいないんです。

おおよそ国内においても、小柄な女性、
超高齢者以外は皇太子より身長が高く
だから皇太子も踏ん反り返ったように上を向くのは
皇室好きな人なら知ってること。

いつも上から見下ろされ(見下されるとは違う)
いつも首を伸ばし、時にそっくり返りお相手を見上げる。

つくづく皇太子も気の毒なことよ。

同じ身長が低いと言われる常陸宮殿下と比べられても
そもそも年代が違う、皇太子の年齢で平均身長は167㎝前後。

わたしも旦那にチビだと言われるけど
60代女性の平均身長は154㎝だから、3㎝しか低くないじゃん。
体重はかなり上回っているけど(笑)

デンマークでのこの画像、これコラ画像じゃないです。
海外発信だから修正も無しでしょう。
隣の方が長身で尚更、低く見えるけどそれにしても
短すぎるのが下半身。私の方が修正したくなる(T_T)

このくらいならバランスいいのだけど、修正しました。

【以下から得意の妄想】

皇太子の成長がストップし秋篠宮殿下が追い越したころ
美智子さまは思ったでしょうねぇ。

香淳皇后の父親とそっくりな体型。隔世遺伝だと。

美智子さま自身は昭和初期の女性にしては高身長だし
天皇陛下は普通体型だから、まさか母親より
身長が伸びないとは想定外の想定外だったことでしょう。

そしてまた、秋篠宮殿下が皇太子と反比例するように
グングン大きくなって、男兄弟で20㎝以上の身長差は
今の時代でも珍しいケースだと思います。

他人なら諦めもつく、従兄弟でも諦めることができるが
同じ兄弟なのに、顔形から身長までこの違い。

悪い所は全部、ナルちゃんが持って行った。

特に背が伸びない、ハゲてきた、これらは
全部、香淳皇后の父親久邇宮邦彦王そっくり。

昭和天皇も高齢になってから頭髪薄くなってはいたけど
ハゲではなかった、今上天皇もハゲていない。
なぜ、ナルちゃんは40代からどんどん薄くなっていくの?
やっぱり香淳皇后の父親久邇宮邦彦王からの隔世遺伝だわっ!

やり場のない怒りの矛先は香淳皇后へ・・・( ゚Д゚)

やーっとお嫁に来てくれた雅子(サマ)は男子を産めず
皇室に馴染むこともできない、病弱で動きも悪い。
孫の愛子も病弱で少し遅れているところもある。
あああ・・・可哀想なナルちゃん。

唯一、弟より誇れることは「将来の天皇になること」

皇后が皇太子を天皇に、の執念が理解できなくはない。

現状、皇太子まで天皇は仕方ないと諦めるしかないが
女性宮家創設まで持って行こうとする魂胆はいただけません。

1995年5月23日葉山御用邸に向かう香淳皇后 亡くなる5年前、91才。皇太后らしく帽子を被り綺麗にしています。

1996年4月14日 92才の香淳皇后 窓の外を見て何を思っているのか。 これ以後の画像は見つけられませんでした。

香淳皇后 2000年6月16日(満97歳没)

三笠宮崇仁親王の享年100才には負けるけど
16年前の97才と言ったら、今の105才くらいに相当するのでは?
と思いくらい長生きされました。
三笠宮崇仁親王は認知症もなく薨去されましたが
香淳皇后の晩年は腰椎骨折、認知症もあり表舞台から見えなくなりました。

不思議なことは、wikiによると

1976年(昭和51年)には政府主催の「天皇陛下御在位五十年記念式典」に出席し祝賀を受けるものの、この前後から心身に老いの兆候が目立つようになる。翌年の夏に那須御用邸内で転倒した際に腰椎を骨折。側近はこのことを伏せ、適切な治療が遅れたため完全な回復は不可能な状態となる。骨折について皇后は大変なショックを受けたとされ、この事故を境に老いの兆候は顕著になった。

側近が腰椎骨折を伏せて適切な治療が遅れたため完全な回復が
不可能な状態になった、ということ。
何故、このような大事(おおごと)を側近は伏せたのか。
自分が叱責されると思ったのか? 敢えて伏せたのか。

崩御されるまでの香淳皇后を見ると
なんだかな~長生きも良し悪しだな~とつくづく思いました。



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