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誰かの、なにかのせいにしないと気が済まない天皇家

天皇一家は8月2日から須崎御用邸で静養される予定だったが、東北地方の豪雨被害の為、最終的に静養を辞退。

※確かに被害はありましたが、静養を中止したのは愛子さまが日赤の嘱託職員で一応、毎日出勤している前提なので他の職員の手前、中止にして日赤や世間がお盆休みに入ったら、大好きな那須御用邸での静養をするんじゃないでしょうか。

週刊文春の記事は読んでいませんが、女性自身今週号で「愛子さま誹謗中傷に負けない」「祭祀にも隠れ奮闘」の反論記事を上げていました。

週刊文春が眞子さんの新社会人になった時期と比較し眞子さんの約3分の1しか公務をされていない、見出しは以下でした。

愛子さま遅刻連発で迫る“母娘シンクロ”の悪夢
「公務選り好み」にも心配の声が…

▶︎就職文書も“源氏”初公務も遅刻「雅子さまの影響」
▶︎なぜ? 新社会人4カ月の公務回数 眞子さんの3分の1
▶︎日赤 ランチは仕出し弁当、同僚からの意外な呼び名
▶︎キムタク、藤井流星、福士蒼汰が推し、紅白歌姫も

週刊文春としては珍しく本当の事を書いたのでしょうが、それを誹謗中傷と一括りにしての女性自身の反論記事(笑)

おそらく、同じ皇女であった黒田清子さん、内親王の佳子さま、眞子さんのような単独公務は無理なのでしょう。できないから、”当面は日赤での勤務と祭祀をおつとめの二つの柱とされるものと思われます(宮内庁関係者)”このように書くしかない女性自身。

愛子さまのお出ましが少ないのは、将来天皇になる悠仁さまより目立たないようにする為、のような記事も以前はよく書かれていましたが、天皇家の出来ないことは誰かの何かのせいにしないと気が済まない癖が着いたんですね。

自分は悪くない、周りが悪いのだと責任転居する為に、時には馬アレルギーなどと嘘まで着くので悲願のイギリス訪問でもマスク着用する羽目になるワケです。

愛子さまのご優秀説は元々は海外から発信された自閉症疑惑でした。 私にはハッキリ分からないので疑惑です。

そこで自閉症とは何事だ~と、逆さ読みの本を読んでいる映像を出したり、御所でハープで楽しんでいる映像を出しました。その後は、徳仁天皇は(当時の皇太子)誕生日記者会見の度に「愛子はあれが出来る、これも出来るようになった」と言い始めます。普通の子なら、特に出来る、出来ないなど一々会見で言わなくても良いだろうに、返って出来ないから出来たと言っているのだな!と思ったものでした。

その後、愛子さま偏差値72を始めて書いたのは週刊現代だったか、週刊ポストだったと記憶しているのですが・・・。次々に特に女性誌が愛子さまのご優秀を記事にしていました。プロ並みのビオラで藝大にも行けるとか、頭脳明晰で東大も行けるとか。学習院大に進学したのは、敢えて学習院大でした。

大卒後は大学院に行くか留学でもするのかな~?と思ったら日赤へ嘱託で就職。院に行けるほどの学力がない、単位も不足だったが忖度で卒業させた、早く放り出したかったとも思えます。

留学も受け入れる留学先が無かったのでしょう。イギリスなど面倒くさい皇女を受け入れるのも嫌だっただろうし。

天皇家にとっての元凶は本人には気の毒ですが、正直に書けば愛子さまの存在でしょうね。

愛子さまが特別ご優秀でなくても良い、極々普通の健常児だったら雅子さまも不治の病、適応障害になる事も無かったと思うんです。

もっとも、雅子さま自身が元から皇室に嫁げる人では無かった。祖父がチッソの社長だった、これは皇太子妃候補お断り要件に入る家系ですが、断らなかった親も親だし子供も子供。

その雅子さまに固執した徳仁天皇もアホでした。

とはいえ徳仁天皇はイケメンじゃないし、低身長だったし性格も「後ヨロ」と言われるほどの無責任の無関心な人。だーーれも魅力のない徳仁天皇と結婚しようと思う奇特な人はいなかった・・・お一人、覚悟を決めた方がいたようでしたが徳仁天皇が自分の顔も見ないで「芋みたいな顔は嫌だ」と言ったとか言わなかったとか言ったとか・・・定かではありませんが。

上皇陛下は当時の男性では平均的な身長で、美智子さまは寧ろ身長が高い方でした。美智子さまの家系は高身長です。その二人の間に出来た子供は大概なら170㎝は有っても良いはずでした。秋篠宮殿下のような高身長も大いに有りでしたし、顔の作りも正田家に似れば秋篠宮殿下のような顔立ちになったはず。

ところが、低身長は上皇陛下の母親の香淳皇后の父親、久邇宮邦彦王に似てしまいました。 チビ、デブ、禿げ、これらは久邇宮邦彦王の遺伝ですね。 昭和天皇も禿げでは無かったし、身長も低くなかった。黒田清子さんも香淳皇后の系統ですが、女性なのでそれほど気になりません。恐ろしいほどの香淳皇后の遺伝力。

同性の兄弟で徳仁天皇と秋篠宮殿下、容貌だけでここまで違うと劣った方は卑屈になるのは嫌と言うほど分かるし理解できると思います。

ところが容貌だけでは無かった。秋篠宮殿下が先に結婚したのは、兄の徳仁天皇の結婚を待っていたら何年掛かるか分からなかった。予定は未定で先が見えませんでした。弟の結婚相手が紀子さまですから・・・とても愛くるしくて世の中にこんな女性がまだいたんだ~と思うくらいで紀子さまフィバーで連日、マスコミは紀子さまを取り上げていましたねぇ。

雅子さまは紀子さまを上回る女性だと思い込んだのでしょうか。

誰かのせいにしないと済まない雅子さまは、愛子さまがおかしいと診断された時、怒り発作で徳仁天皇に当たり散らしただろうし軽井沢籠城の時は離婚する~~と言ったそうですが、そのまま離婚すれば良かったのに、徳仁天皇が望まなかったか、小和田恒氏が望まなかったか。現在に至ると。

嘘を突き通すって事は大変なリスクを負う事になるんですね。

あれ (゚Д゚≡゚Д゚)? 愛子さまの記事から、どうして香淳皇后まで行ってしまったのだろうか。つらつらと書いていました。 間違っている事も大いにあるかもしれません m(_ _)m



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