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新年から自然災害に航空機事故と災難続き*多忙な年末年始でした

散々な2024年の始まりでした。

1月1日は能登半島地震、翌日の1月2日は羽田空港で新千歳空港発の日本航空(JAL)516便が着陸した直後に海上保安庁の航空機MA722「みずなぎ」と衝突。JAL機の乗客乗員合わせて379人は全員機体から脱出しましたが、海上保安庁の航空機は6人のうち機長を除く5人が亡くなられました。能登半島地震の被災地に救援物資を届けるため新潟に向かう予定の中での事故で痛ましいことでした。

自然災害は時間を選ばないので、たまたま元旦に地震に襲われたと思っていますが、羽田空港の事故はまだ原因が分かりませんが、人間の判断ミスによる人災かもしれません。

ずーっとNHKをつけて地震被害の状態をたまに見ていたところにニュース速報で羽田の事故を見ましたが、その時から機内から火が出ていて時間が経つに連れ飛行機が焼け落ちていく様子に、よく全員脱出できたと、日頃の訓練の賜物ですね。それにしても本当に怖かっただろうと思いました。

元旦からの災害続きで、令和、天皇の祭祀など言われているようですが、過去の自然災害、関東大震災や伊勢湾台風、平成では身近に東日本大震災がありました。

時の天皇は今上より祭祀に熱心だったはずですが、こうして自然災害が起きています。人間の祈りとは神通力があるわけでもないし、近代では災害多発により元号を替える、などは非現実的な事でしょうねぇ。

仮に悠仁さまが熱心に祭祀をされる天皇になった時代に、大きな災害が立て続けに起きた場合、悠仁さまに退位しろと言うのでしょうか。ただ単にだらしない天皇皇后夫妻に当たり散らしたい、難癖を付けたい心情なのかもしれません。

私も昔は一生懸命祈っていましたが、今は祈りとは心の拠り所ではないだろうか?と思うようになっています。そういう事で、私は自然災害と天皇皇后夫妻の事は無関係だと思っているので気を悪くした方がいましたら申し訳ございません。



年末年始はどのように過ごされましたでしょうか。

今日は帰省してた息子を駅に送り、帰りに従妹から聞いた美味しいパン屋さんに寄って、そのまま娘宅に行きました。

娘夫婦の仕事はサービス業なのでパパさんは仕事、娘も孫たちもダラケていましたが、カルタなどして遊んで帰宅しました。もう正月の終わりで明日から娘も仕事、孫たちも学童と保育園に行きます。

私自身は例年より忙しかった!の印象でした。

12月29日から1月2日まで毎日スーパーに買い物に行っていました。29、30日は来客有り、午後から息子が帰省する。

息子が帰省するのを楽しみにしていた孫たちは連日遊びに来ていました。元旦は娘夫婦仕事で朝から娘宅に行き、10時過ぎに孫たちを家に連れて来る。2時過ぎに娘が孫たちを迎えに来たので、一旦家に帰って貰いました。横になって休んでいたところに地震でした。

でも私の住んでいるところは震度も低かったし、夕方から娘家族が来て新年の会食をしました。母が亡くなり喪中でしたが年に一度の集まり。母の年齢も享年95才ですから、さほど気にする事もないでしょう。寧ろ、家族が集まってワイワイするのを位牌を置いているサイドボードの上から眺めていたんじゃないかな。

総勢7名は少ないのか標準的なのか。息子が独身、娘もお産する年齢はとうに超えているのでこれ以上家族が増える事はまずないでしょうが、孫たちが大きくなっても正月に来てくれると嬉しいですね。

東北地方ってよく見る重箱に詰め込まれた「おせち料理」って作らないんです。最近は作る人もいるでしょうし、スーパー、コンビニでおせち料理の予約などもあるのですが、私はおせち料理は作らない、買ったことがないんです。替わりに正月料理を作るのですが、それもかなり手抜きになりスーパーで売っているオードブルのセット、魚屋で作る生寿司、他に手料理で汁物、総菜数点作り最後にショートケーキで終わり。今年はカニを沢山食べようと冷凍ズワイガニ1万5千円、スーパーから買いました。テレビショッピングから買うのとどちらが良いのでしょうかねぇ(^^)

食事後は茶の間に移動してダラダラと世間話に移るのですが、これが意外と長くて、孫たちが「家に帰りたーーい」と言うまで、9時半過ぎまで居てました。写真を撮る余裕がなくて画像はフリー素材と産経新聞です。



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