梅雨明けする前から暑くなり、その後から休む暇もない夏日と猛暑日の連続期間が約6週間。その間は何とか頑張って動いてきたが、9月2日にそれまでの夏日、猛暑日から一転した。
目が覚めた時は雨の音、涼しい。一度は起きたものの、その後はまた二度寝で起きたのは午前10頃でした。エアコンもつけずこんなにグッスリ寝たのは何週間振りだろう。
とにかく酷い夏だった。エアコンを買い替えしなかったら耐えられなかっただろう。来年は夏に入る前に台所にもエアコンを設置しようと決めた。
涼しくなる前の29日、草刈り機が壊れて動かなくなった、ホームセンターに付き合って欲しいと旦那に誘われて猛暑の中付き合った。草刈り機を置いている場所が大きい資材置き場、屋根の高い倉庫のようなところで扇風機がポツン、ポツンと置いてあるだけで冷房無し。
早く決めればいいのに、あーだこーだと検討している旦那。オマケに猿被害対策のネットまで見て回る。その旦那が着ていたTシャツは汗でビッショリだった。
私は一度は冷房の効いている続きの売り場に逃げたが、再度戻って買うものは決めたか?と見に行く。やーーっと決めて草刈り機を焼けるように熱くなっている車の中に押し込んで、他はどこにも寄らず帰宅した。
1人で行けばいいのに、いつも誘うんだから・・こんな猛暑で暑いのに~と愚痴も出て来る。
翌日の30日は弁護士事務所に行く。この日も暑いだった。
9月1日は朝から娘から電話で、上の孫が熱を出したが、仕事を休めないので代わりに医者に連れて行ってくれないか?でしたが、「熱を出した?? 新型コロナかもしれない。新型コロナでなくても風邪かもしれない。伝染ると嫌だしこの暑さでヘタレているのに伝染したら死んでしまう」と断った。幸いパパさんが休めることになっ良かった。
次にまた旦那から「苗を買いたいから付き合ってくれ」と言われホームセンターに出向いた。前回買わなかった猿対策のネットと大きい鳥が風で飛ぶカイトを買い、結局、苗は買わなかった。
ポール付きでこれと同じ物。ネットの方が安かった。鳥は横180㎝と大きいので少しは効果があると良いのですが。
夕食時はもう動きたくなくて、冷蔵庫の中にある残り物で食べた。元々2人、夕食はいつも食欲が無くなりやーっと食べている状態だし。
そして9月2日の涼しさで、一気に夏疲れが出てしまった。パソコンの起動すら億劫で、ダラダラと寝たり起きたり昼食、夕食も作りませんでした。今日も身体が重くだるさが続いているみたい。涼しくなったら多分こうなるだろうな~とは薄々思っていたけどその通りでした。
従妹から今月中旬に亡くなった旦那さんの四十九日をするので2人で出席して欲しいとの連絡。あ~~ぁ、四十九日は身内だけでやると思っていたのに・・・。それまでは何とか体調を立て直さないと。
30日の弁護士事務所には、旦那、義弟、私の3人で義弟の奥さんは息子さん帰省中で来ませんでした。
義姉がどんな病気で亡くなったのかは弁護士もはっきりした病名は知らないけれど、3年前から悪性腫瘍で3回手術をしたが、4回目は無理と言われ緩和治療に入ると7月下旬に手紙が来た。手紙が来る前にも電話で話をした時は元気そうだった。手紙が来てから約2週間後に亡くなったとの知らせに早いと思った。
極々身内での葬儀で誰からも香典を頂いていないので、義兄も息子さんも弟たちからの香典を拒否、住所を教えるのも拒否でした。ただ、義母が亡くなった時は弁護士の方から義姉の子供である息子さんには知らせなければならないので知らせる。
何故使わないガス料金を払っていたのか。
義母が危篤になったら、実家に連れて帰り看取りたい。その時の為にガス料金を支払っていた。弁護士は、例えば危篤だと言われて実家に連れてきても数時間、数日で亡くなるか、あるいはそれが1ヵ月後か数ヵ月になる場合もあるだろうが、それでも出来るのか?と聞いたらそれは出来ないと言っていたとか。ガスは止める手続きをしてもらう事にした。
実家のゴチャゴチャと汚れた物も義姉に捨てるな!と言われ捨てられなかった物は捨てても良いとか。
旦那も義弟も自分たちが義母より長生きするか分からない。実家の中にある捨てて良い物は整理してしまいたい。子供たちに負担は掛けられないと言っていました。私自身も義母より長生きできるのだろうか?と思う時があります。 それほど今の義母は安定して元気で3食たべているのです。
涼しくなったら2人でボチボチと片付け整理をするらしいが、全部捨てる事はやはり出来ず義母が亡くならないと無理な事もありました。
他にも義弟、旦那、聞きたいことを聞いていました。
義弟はかなりショックを受けていたようでしたが、旦那は自分はそれほどでもない。生きて看取って欲しかったし言いたい事は沢山あったとか。おそらく義弟より旦那と私の方が長年に渡って義姉に嫌な事を言われていた。その温度差だろうか。
義姉も義母を看取る事ができず無念だっただろうけど、私たちが苛めたワケでもなく3年前からの悪性腫瘍で亡くなられたとのことで、そういう運命だったのだろうと気持ちの切り替えは済んでいました。