サイトアイコン これでいいのだ日記part2

蒸し暑い日に思い出し考えること、いつまでもあると思うな親と金

昨日の最高気温は30度くらいでしたが、物凄く暑く感じてエアコンの設定温度は25度にしてはみたものの、キレの良い涼しさにならない。と思ったら少しだけ雨が降った。もっと降って気温を下げてくれれば良いのに、焼け石に水程度。あ~~これは蒸し暑いんだと、ドライに設定を替えたら少しマシだった。

今日、1ヵ月に1回、恒例の銀行周りをしたのち呉服屋さんに寄った。呉服屋の奥さんも疲労感いっぱいの表情で、昨日は蒸し暑くて体調が悪かった、夜もなかなか寝られなかった、と言っていた。

整形外科に掛かっているとか、神経痛とか、呉服屋の奥さんのように大病をした人、普段から体調不良の人には、夏の蒸し暑さは体にかなりダメージを受ける。

雨が降りそうな湿度の高い32度と、普通によくある32度では暑さの質がかなり違う。綺麗な透き通った海が好きだしそういう海で泳いでみたい、年金暮らしで働かなくてもよいから沖縄に移住、と考えたくなる時もあるけど、沖縄の尋常じゃない湿度に私は無理だと思った。エアコンをかけた車から出ただけでサングラスが曇る経験は初めてだった。気温30度で肌を刺すような暑さなのに、バルコニーの椅子にかけていた水着が夜になっても乾かないのも初めて、普通は1、2時間程度でカラっと乾くのに。

昔、まだパニック障害が酷かった当時、最高気温35度、朝から曇天で今にも雨が降りそうなのになかなか降らず夕方になってようやく雨が降った日の事は忘れられません。

ちょっと動いただけで動悸がしてほぼ一日水枕をして横になっていた。こういう時に限って冷蔵庫の中はろくな物がない。そもそも台所に立って料理などやれる状態でもなかった。

当時はまだ近くにスーパーがあったので、小学校2年生と幼稚園児の子供たちに、生蕎麦とネギと好きなお菓子を買ってくるように行った。ちゃんと買い物をして帰宅した2人。生蕎麦を茹でてネギを切るのが精一杯でした。 こういう時でも母に頼む事は出来ませんでした。

確か半日くらい働いていた、あまり頼み事をすると「また~」のような態度、返事をされるのが嫌で、頼み辛かった。

蒸し暑い日に、冷たい生蕎麦とネギだけの夕食、雨も降ってきてホッと一息つけたものでした。子供たちには恵まれたよね。



今月は母の年金から19万円頂いた。今月は意外と残高が多かった。20万円にしようか迷ったけど、次回の12月頃にまた頂く事にする。パソコンの支払い、外付けHDDも買って、いつもアッシーしてくれる旦那にガソリン代として2万円渡して、残りは生活費専用の銀行へ預け入れ。

母の年金は4ヵ月に1回くらい、その月によって違うけど大体14万円くらい頂いている。月に3、4万円くらい。お陰で私の年金は手を付けず、ダラ~っと貯金になっている。

母の年金を使うことには全く罪悪感無し。寧ろ、両親が愚弟に出したお金と今まで私が両親の為に動いて来たことの対価を考えると母が100才まで生きても少ないくらい。

とはいえ、親の年金をアテにした生活はしないように心がけている。毎月のように母にタカっていた愚弟はどんな生活をしているのか、連絡もしたくないので知る由もない。

親達の年金をアテにして生活、次々と親が亡くなり年金も貰えなくなり、生活の質を落とさなければならない人達を何人か見てきた。「いつまでもあると思うな親と金」

チンタラ~とぬり絵をしているのですが、立体感があり、陰影のあるリアルなお手本のようにはぬれません。そこで、自分の好きなように自由に塗っても良いんじゃないか、と思うようになりました。色鉛筆120色あっても私には無理~好きなように塗るのがよろしいようで(^^)



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