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次男の嫁として皇室に嫁いだ紀子さま、29年前まさか皇嗣になるとは思わなかった秋篠宮皇嗣殿下、運命に翻弄されて。

今週の週刊文春の吊り広告が大きく重圧で苛立ちが募り紀子さま「孤絶の宮中」最も親しい記者が明かす素顔の秋篠宮のタイトルに釣られて久しぶりにAmazonから週刊文春を買いKindle(電子書籍)で読みました。

サブタイトルに書かれていた
「次男の嫁」として皇室に入ったはずの紀子さまは、運命の変転に翻弄され、いつしか次代の天皇の母、”国母”としての役割を求められるようになった。美智子さまとも雅子さまとも違う歩みにかかる想像を絶する重圧の中、ただ一人立ちすくむ皇嗣妃の苦悩とは。

以前からブログにも書いた、秋篠宮家は次男の宮家で常陸宮家と同じもっと気軽な立場だったはず。この事が週刊文春で書かれていました。

皇統を継ぐ家、しかし次男として生まれた秋篠宮は、当初からそう宿命付けられていたわけではなかった。かつて3LDKのプリンセス、と親しまれた紀子さまが、次代の国母となる日が来ようとは、ご本人ですら予測できなかったのではないか。91年に眞子さま、94年に佳子さまが誕生する。姉妹を中心とするほのぼのとした話題を振りまいていた秋篠宮家だが、徐々に皇室に暗雲が垂れ込めていく。(週刊文春2020-11-19)

「93年に天皇陛下と雅子さまがご結婚。そのころは誰もが、ご結婚された雅子さまが男児を産み、その子が将来の天皇として育てられると考えていました。しかし、男の子には恵まれないまま、雅子さまは2004年に適応障害の診断を受けて長期の休養生活に。このままでは皇統が途絶えてしまうという危機感で、いまの上皇陛下は夜も眠れないこともあったほどだといいます。上皇陛下は天皇陛下にたびたび話をなさったのですが、天皇陛下は『大丈夫です』と仰るばかりで、全く動きがない。そんな中で、男児への期待が、雅子さまから紀子さまに移ることになったのです」(皇室ジャーナリスト)(週刊文春2020-11-19)

紀子さまは相当のプレッシャーだった、妊娠した時は39才。40才の誕生日直前に待望の男児、悠仁さまが誕生。しかし、秋篠宮家の待遇が向上することはなかった。
東宮ご一家をお世話する職員約60人、当時の秋篠宮家はわずか16人。内定費3億2千4百万円、秋篠宮家の皇族費5千4百9十万円。そして秋篠宮家が「ご難場」と言われる由縁が書かれていましたが、これは既にあちこちの週刊誌で書かれた事と似たり寄ったり。眞子さまの事もいろいろ書かれていたので、読みたい方は買って読んでください。



最も親しい記者が明かす素顔の秋篠宮、こちらの記事は批判は殆ど無く、重圧で苛立ちが募り紀子さま「孤絶の宮中」の記事にも書かれていた

1991年2月23日、31才になった浩宮の「立太子」の礼が行われた。皇位継承順位一位の皇太子になったことを国内外に示す儀式だ。皇族、三権の長、駐日大使ら約250人が参列、コロナ禍の今回と比べると実に盛大な立太子の礼だった。参列していた秋篠宮夫妻もこの様子を近くで見守っていた。
この時、秋篠宮は、まさか自分が29年後に皇位継承順位第一位の皇嗣となり立皇嗣の礼」で主役となることなど夢にも思わなかったのではなかろうか。繊細で物静かな長身の弟が、将来天皇になることなど、当時、多くの国民はまったく予想すらしていなかった。

2006年、悠仁親王誕生。現行の皇室典範では、愛子内親王には天皇となる資格がない。このため、秋篠宮が皇位継承順位第一位となり、悠仁親王が第二位となった。近代天皇史、明治から令和と五代に渡って皇位は父から息子へと代々移行されてきた。しかし、令和の後、初めて天皇の位は、弟の系列へと移動することになるのだ。直系から傍系へと皇位が写る事態は近代史の中で日本人が初めて体験するものであり、決して小さな変化とは言えまい。(週刊文春2020-11-19)

共通するのは、秋篠宮ご夫妻は結婚した時から、まさか秋篠宮殿下が29年後に皇位継承順位一位の皇嗣になり重い重責と責任を背負うとは、秋篠宮ご夫妻も国民も当時は想像も出来なかったという事。

今上夫妻が3人、4人と子供を産み、男児を儲けていれば、当然国民の注目は今上ご一家になり、次男の秋篠宮家は常陸宮家と同じように、真摯に公務に取り組みながらも、あまり目立たずほのぼのとした家庭を築けていたかもしれません。佳子さまの美貌は目立ったかもしれませんけど(^^)

雅子さまが元気溌剌と公務に取り組んでいたら、紀子さまも子育ての時間を今までより多く取れていたはずでした。

皇統が途絶えてしまうという危機感で、いまの上皇陛下は夜も眠れないこともあった、上皇陛下は天皇陛下にたびたび話をなさったのですが、天皇陛下は『大丈夫です』と仰るばかりで、全く動きがない。これらの記事が事実か想像で書かれたのか、真相は分かりませんが、実際上皇陛下は「国民も待っているからね」と、暗に子供のことを仰られた時に、「私の周りにはそういうことを言う人はいません」と口答えしたという雅子さま。

狗児さんがコメントで
「ふと、儀式を見ながら、雅子さまは男子を挙げることが出来ず、思い悩まれたこともあったのだろうな、と思いました。もし、ご結婚後ほどなく、雅子さまに男子に恵まれていたとしたら、そのお子さまが立太子されていたんですよね…その点はお気の毒でなりません。」このようなことを書かれていました。実に優しいコメントではありませんか。

11月8日から5日経ち、天皇陛下、雅子さまの気持ちを考えると、自分の息子が「立太子の礼」をするのと、弟の秋篠宮皇嗣殿下が「立皇嗣の礼」をするのとでは、かなり気持ちが違うだろうな!と思いました。

不妊、これは誰が悪いとも言えずどうしようもないことでしたが、雅子さまは不妊治療を始めてから、2回妊娠されています。何年不妊治療をしても授からない夫婦もいて、45才くらいで諦めるとか。その点では、雅子さまはもっと早くから産む努力をされていたら、もしかしたら愛子さまの次に男児を儲けていたかもしれませんが、無理だったのでしょうかね。子供が出来ない悩みは、子供のいる私には理解は出来ないのです。

皇統は直系から傍系に移り、いずれ秋篠宮家が天皇家になります。アンチ秋篠宮家が寝ても覚めても誹謗中傷に明け暮れても、もう決まったこと。天皇皇后両陛下に男児が授からなかった不運。秋篠宮皇嗣殿下もまさか自分が皇位継承順位第一位になり、重荷を背負うとは思わなかった。紀子さまは運命に翻弄されてお気の毒ですが、強くて良い国母になられるでしょう。



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