10月20日、上皇后美智子さまが86才の誕生日を迎えられました。動画を見て上皇上皇后陛下、共にお元気ですね。既に人生100年時代と言われ、100歳以上の高齢者が年々増えている日本。上皇夫妻も突発的な病気が無い限りは100歳まで、いやそれ以上に長生きされるのではないでしょうか。何と言っても至れり尽くせりの生活ですから。
美智子さまは白内障の手術後、サングラスが手放せなくなったようです。私も白内障手術後は眩しくて車の運転は勿論、助手席に乗る時、ウォーキングもサングラスをしています。これは仕方ないだろうと思いました。
義母が86才の時は認知症が進みグループホームに入所していました。私の母は週2回デイサービスに通っていました。高齢になると同じ年齢でも、老化の個人差が出るようです。美智子さまは認知症も無さそうですし、コロナ禍で不自由な生活をしている後期高齢者は沢山いますが、良い生活をしています。
「これまでできていたことは『授かって』いたもの、できなくなることは『お返し』したもの」と静かに受け止められているという。
「強いお気持ち」発動で、できていたことが多かったですよね。『授かって』いたもの、も限りなく大きかった人生でした。
できなくなることは『お返し』したもの。趣味のピアノ演奏が不自由になった、新型コロナでお出かけが出来なくなったとか。『お返し』したものより『授かって』いたものの方が、まだまだ超大でありましょう。上皇陛下がお元気で何よりです。
上皇后さまは20日、86歳の誕生日を迎えられた。3月に皇居内の旧吹上仙洞(せんとう)御所から、仮住まい先の仙洞仮御所(東京都港区)に転居して以降、新型コロナウイルスへの配慮から外出を控え、上皇さまに寄り添い静かに過ごされている。感染症の影響で困難な状況にある人々を案じ、誕生日行事も控えられる。仮御所では毎日、上皇さまとともに朝と夕方、庭を散策し、これまでに訪れた国や地域の思い出をご回想。立ち止まってお二方で語り合われることもある。東日本大震災で被災した岩手県大槌町の関係者から贈られたハマギクなどの花を眺めながら、被災地の復興状況についても気にかけられているという。
上皇さまの在位中と変わらず、沖縄慰霊の日、広島・長崎の原爆の日、終戦の日にご黙祷(もくとう)。7月の豪雨災害では、被災した人々の状況を案じられた。上皇后さまは先月~今月にかけて宮内庁病院を訪れ、昨年受けた白内障と乳がんの手術の経過観察のための診察を受けられた。大きな問題はなかったが、微熱が続いているほか、術後のホルモン療法によるとみられる左手指のこわばりのご症状があるという。趣味のピアノ演奏などで不自由が生じているものの、上皇后さまは「これまでできていたことは『授かって』いたもの、できなくなることは『お返し』したもの」と静かに受け止められているという。記事・画像出典 産経新聞https://www.sankei.com/life/news/201020/lif2010200006-n1.html
序に下の孫、女の子が美智子さまと同じ誕生日です
今日は下の孫(女の子)の3才の誕生日で、娘夫婦は休みを取り、孫達も保育園を休んで誕生日を祝うようです。孫の誕生日はいつも親子でお祝いをしているので、私たちがお呼ばれすることは無いです。去年は誕生日祝いにお金を持って行った序に、親子4人揃っての写真撮影とケーキはご馳走になってきましたが、大体そんなもんです。 来週の日曜日は七五三で、午後から神社に来るように言われました。 神社での祈祷も密を避ける為に、定員8名で大安なので予約制だとか。私たちは祈祷に入らなくても良いと言いました。着物姿の孫達を見て、神社でスナップ写真を撮って、旦那はそれなりのお祝い金をあげるそうです。 娘と2人でイオンに行った時、駐車場のお金を出すように言いました。 いくらなんでも旦那無職になり、年金暮らしになった親達に駐車場のお金まで払わせるとは、鈍感過ぎじゃないかと。払うことにするとの返事でしたが、いつから払うのか? 鈍感な親達をしり目に孫達は大きくなっています。先々週の日曜日、町内にある小さな公園に娘と孫2人と私の4人で遊びに行きました。
保育園の年少組の中でも運動神経抜群だそうです。高さ2メートルくらいのボルタリングも上手くてっぺんまで昇り降りしていました。 公園で孫1号の名前を呼ぶ男の子と一緒になりました。聞くと同じ保育園で年中組の子だそうですが、保育園の園庭で一緒に遊んでいるとか。
今日、3才になった下の女の子。4才4か月の上の子とは全く違います(笑) 可愛い物が大好き、ぬり絵が好きで落ち着いています。上の男の子は左利きですが、下の子は右利き。父親は2人に同じように厳しいそうですが、同じ3才でも男の子の方がやる事、覚えることが早い、発達が早いです。2人どんな風に大きくなっていくのかな。