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秋篠宮家の挫折 小室家へ経済関係にルーズな人物は決して他者に信用されない 文藝春秋2月号

文藝春秋2019年3月号が発売されたので、文藝春秋2月号の
【総力特集 新しい皇室の覚悟】
◎雅子妃「皇后」への決意 友納尚子
ご退位決定後に立てた「六つの目標」。
美智子皇后に励まされ、強い意欲が生まれていた
◎秋篠宮と眞子さま「冷戦」を超えて 保阪正康
の中から、友納尚子氏は除外し、
◎秋篠宮と眞子さま「冷戦」を超えて 保阪正康
天皇と弟宮と秋篠宮殿下と眞子さまのことが書かれた部分を
書き起こししました。 全文は無理なので中略も多いです。

また、必ずと言っていいほど作家のあれこれ、特に右、左、など
根掘り葉掘りほじくられるのですが、おそらく保阪正康氏のことも
いろいろ調べてほじくるでしょう。昭和史研究の第一人者ですが
「戦争をした世代の子孫が謝罪をしていくのは当たり前」とも言ったそうです。
それでも、たまには週刊誌だけじゃない、大人の書いた秋篠宮殿下と眞子さまと
小室家のことを読んでみたい方、長文ですが読んでみてください。
私自身、ガルチャン、ヤフコメの寄ってたかっての秋篠宮家批判コピペコメントを
昨日から少しづつ読んで、幼稚過ぎていささかウンザリしたため、
時間は掛かりましたが、書き起こししました。以下から始まります。

追加 憤慨ものです、秋篠宮家大批判をしている金玉手箱が
私がコツコツ集めて時間を掛けて作った画像を使っているではありませんか!
記事はコピペ、画像は拾い物 ( ゚Д゚)
以後、自分が作った画像にはブログタイトルを入れることにします。
使われた画像、文字入れしました。

弟宮とは難しい存在だ ←これは私がつけたタイトルです。

秋篠宮殿下は今年五月、父・平成の天皇と兄・皇太子徳仁親王の
御代替わりにともない皇嗣となる。

皇嗣とは耳慣れない地位だが、実質的には皇太子である。
皇太子と雅子妃に皇子がいないため、将来は第二位の皇位継承者として
天皇の地位に就く可能性が高くなる。 明年四月の立皇嗣の礼の向け、
秋篠宮家の職員が大幅に増員されるのは、そういった事情があるためだろう。

弟宮とは、本質的に難しい存在だ。日本でも、歴史を振り返ば、弟宮の扱いに
天皇周辺は気を使い、待遇に苦慮する時代もあった。
そういう時代に比べると、秋篠宮は恵まれているといえるかもしれない。
昭和の終わりから平成にかけてのころ、昭和天皇の一歳下の弟宮である、
秩父宮殿下について、まだお元気だった妃殿下や側近に話を聞き、評伝を書いた
(「秩父宮」中公文庫)そのとき感じたのは、弟宮という立場の苦しさであった。

例えば、天皇家には明治天皇らにより帝王教育が整えられていくが、第二皇子
以下の弟宮の教育に特別な形は準備されなかった。
それは明治天皇にも大正天皇にも弟宮がいなかったからでもある。

近代日本で初めて第二皇子として誕生した秩父宮に施された教育内容を端的に
表現するならば、「あなたは天皇になるかもしれない。しかし、天皇になること
を自ら望んではいけない」というものだった。
これは矛盾をはらんだ過酷な要求であり、ご本人をある意味、残酷な立場に
追い込むものでもあった。 母である貞明皇后はそのことを十二分に察し、
秩父宮には少年期から、その過酷さをねぎらう書簡を送ったりしている。

しかし昭和天皇や秩父宮の意思とは別に、宮中内部には近代日本になって
初めての第二皇子や二人の弟宮(高松宮殿下、三笠宮殿下)の存在に警戒する
声はあった。 本人たちの意思とは別に、権力集団の対立に利用されるのでは
ないかというのである。元老西園寺公望は、秘書の原田熊雄に漏らしている。

<今の秩父宮とか高松宮とかいふ方々にかれこりいふことはないけれども、
或は皇族の中に変な者に担がれて何をしでかすか判らないやうな分子が
出てくる情勢にも、平素から相当に注意して見てゐてもらはにないと、
事すこぶる重大だから、皇室のためにまた日本のためにこの点はくれぐれも
考へておいてもらはなければならん>(原田熊雄述「西園寺公と政局」)

周囲の目がこうであれば、秩父宮や高松宮といった昭和天皇の弟宮たちは、
「皇統の控え」として常に緊張状態を強いられることになる。
だが「兄宮を補佐する」という抽象的な役割はあたえられていても、具体的に
天皇が弟宮に政務や軍務を相談したり、助言を求めるといったシステムはなかった。

◆秩父宮への疑惑 こちらは前半を大幅に省略します。

主に戦時中のことで秩父宮について、昭和十一年の二・二六事件のとき
一部の将校が秩父宮を立てていたのでないか、噂を交えて広がった、等々
秩父宮はあの軍事主導時代の犠牲者といえると私は考えている。と結んでいる。
全文読みたい方は本を買ってください。後半続き

しかし現代は民主主義の時代、そして言論の許容範囲が広がっている時代である。
兄宮と弟宮との間に憶測が介在する時代ではない。
私は昭和天皇と秩父宮殿下の時代を、まったく立場の異なる皇太子(五月からの
新天皇)と第二皇子(五月からの皇嗣)の時代とみて、改めて軍事主導の
時代がいかに悲劇的であったかを確認すべきように思う。
そうすれば、皇室の安寧は民主主義が前提となることも次第に明らかになるだろう。

「開かれた皇室」にあって天皇と皇后の目は、長男と次男、それぞれの
役割を明確に捉えているように思う。

そのうえで、天皇・皇太子・秋篠宮が天皇家として一体となっているのは、
天皇の深いお考えからだろう。
繰り返すが昭和の時代は、昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮がそれぞれに
繋がる回路が存在しなかった。
例えば、高松宮が何か提案しても、他の兄弟が知る事は難しかったし、ましてや
連携して事にあたることはなかった。
いわば、それぞれの宮様は「タコつぼ」状態に置かれていたといっていい。

今では定期的に親子三人の「三者会談」が行われ、そのような弊害を防いでいる。
秋篠宮は、天皇と兄宮を結ぶ役を務めるように思う。
宮内庁詰めの記者によると、宮内庁関係者はよく「秋篠宮殿下は成長された」と
証言する。「やんちゃな自由人」だった礼宮時代から比べると、人間的な幅が
感じられるというのだ。 秩父宮の時代とは異なり、弟宮である秋篠宮は、
しっかりとした立場と役割を与えられた。
それが大きいのではないかというのである。


◆ 秋篠宮家の挫折

皇嗣という立場に立つ前に、秋篠宮のさし迫った課題は眞子さまの問題である
との見方は、一概に否定できない。 ただこの問題について、私は一般社会の
常識、あるいは社会的に成熟した目で見るべきだろう。
秋篠宮家の長女の眞子内親王と婚約者とされる小室圭氏の結婚について、本来
ならば慶事であるはずだった。ところが昨年十一月に五十三歳をむかえた誕生日
会見で、秋篠宮は、週刊誌などで報道されている小室家の借金問題について、
「婚約前ですので、人の家のことについて私が何か言うのは、はばかられます
けれども、それ相応の対応というのは大事」と発言された。
その上で「多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況」にならなければ、
「婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません」と踏み込んで
意見を述べられた。

※ 小室圭の母親の借金から結婚延期、小室圭NYへ留学までの流れを省略。

この問題は、眞子さま、佳子さま、そして悠仁さまの順調な成長を見守ってきた、
秋篠宮家にとって、初めての挫折と言っていいのかもしれない。

小室氏の母親は、金銭問題について贈与であるから返す必要はないとする
立場を取り、秋篠宮家が相応の対応を求め、貸し手の男性が今も返済を求めて
いるのに無視している状態だという。

天皇家を歴史の流れで見つめる視点でいうなら、この問題は天皇家とか
皇室の次元とは別に、きわめて低レベルの社会的生き方が含まれている。
こうした「借金を返せ」「いや借金でない」といった問題は、当事者間の
やり取りであり、これを皇室内部に持ち込まないでほしいというのは、
誰しもが思うことである。

私自身は、秋篠宮発言は当然であり、社会の常識であると思う。
社会の常識が通らないということ自体、問われて然るべきことである。

あえていうなら、眞子さまと結婚することは、将来の天皇の兄になること
であり、天皇にきわめて近い存在となる。
そういう立場にふさわしい社会的常識を持っているかどうかは国民的関心事だ。

眞子さまのご結婚について秋篠宮ご夫妻はとうしょ、そろって認める姿勢を
示されていた。学生時代からの付き合いを実らせて恋愛結婚をなさった
お二人だから、惹かれあう男女が一緒になることは喜ばしい、と考えて
いらしたのだろう。 しかし「開かれた皇室」とはいえ、皇族には世間一般と
同じ自由な恋愛が許されるわけではない。
ご降嫁されても天皇のご親戚であり、その配偶者の職業や暮らしのことで
皇室のイメージを悪くする事態があってはなるまい。

皇室の人たちは、一般社会の価値観と必ずしも一体化する必要がない、と
私は思う。
むしろ人間本来の良質の人倫を代表するのが、皇族の役目ではあるだろう。

だがこの一点だけは、皇族にも一般人にも指摘できるように思う。

<経済関係にルーズな人物は決して他者に信用されない>

これは社会常識である。この点でいえば、皇室にはいつの時代にも
良き側近、良きアドバイザーが求められるのであろう。
眞子さまについて言えば、男性とのお付き合いや内親王の立場について
諫言(かんげん 意味=目上の人の過失などを指摘して忠告すること)を
辞さない人物が必要だろう。
世間との盾になる側近は、皇室のディグニティ(威厳)を保つために
いつの時代にも求められている。

前途した元老の西園寺公望はまさにそういう側近の一人だった。
平成の天皇の教育参与だった小泉信三は、昭和二十四年にその職を
任じられたときに、少年皇太子の教育にあたる心構えを自らのメモに
残している。そこには良きアドバイザーに徹するとの意味を含んでいた。

小室氏に関わる金銭問題は、皇嗣への即位を控えている秋篠宮が
乗り越えなければならない試練かもしれない。
秋篠宮家と結婚をかんがえる眞子さまとは、もっか冷戦状態という
宮家内部の動きも伝えられる。
小室家とどのような折り合いをつけるのか、一般社会が納得する
解決を見出すことができるか。皇室と国民との窓口が期待される
皇嗣としての当面の大きな課題である。

◆長官への苦言は教訓に

◆ 職員が調べた行啓リスト

◆ 真価が問われる

以上の項目は長くなるので割愛します。誤字がありますが適宜読んでください。




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