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三笠宮妃百合子さまの墓所一周年祭の儀 三笠宮親子姉妹の断絶、和解は無理

こんばんは。
昨日は佳子さまがデフリンピック結団式にご臨席、手話で秋篠宮ご一家、東京デフリンピック開会式ご臨席、手話で選手団を激励。今日11月15日は秋篠宮ご一家で東京デフリンピック開会式ご臨席されましたが、こちらは明日の夜に投稿予定です。雰囲気が良いので今日の投稿と一緒にしたくありません。

今日は三笠宮妃百合子さま「墓所一周年祭の儀」があり、皇族では喪主の彬子さま、妹の瑶子さま、秋篠宮ご一家、高円宮久子さまと承子さまが出席、愛子さまは17日からのラオス訪問の準備で欠席でした。

信子さまは当然のように出席されませんでしたが、瑶子さまの嫌々ながら仕方なく出席したかのような表情と歩き方を動画で見てください。瑶子さまそんなに嫌なら欠席したらいいのに~と思うくらいで、母親、姉妹、3人バラバラに断絶しているのがよーーく分かります。

気の強さと性格の悪さが顔に出ているような、喪主を務めた彬子さまは実質三笠宮家の当主になり意気揚々、顎と下唇を突き出して瑶子さまの事など知るかぁ~のように毅然とした表情です。

三笠宮妃百合子さま「墓所一周年祭の儀」には佳子さま、悠仁さまも出席されて相変わらずビジュアルが良いのですが、今回は瑶子さまのブータレた態度に圧倒されてしまいました。あ~怖い。

三笠宮妃百合子さま「墓所一周年祭の儀」 喪主の彬子さまら皇族方9人が拝礼 ラオス公式訪問前の愛子さまは参列されず 豊島岡墓地|TBS NEWS DIG

【三笠宮妃百合子さま】「墓所一周年祭の儀」

三笠宮妃百合子さまが101歳で逝去されて1年となった15日、東京都文京区の豊島岡墓地で墓所一周年祭の儀が営まれた。喪主を務める三笠宮家の彬子さまや秋篠宮ご一家、常陸宮妃華子さま、高円宮妃久子さまら9人の皇族方が参列された。

百合子さまが埋葬された墓前に米や酒などが供えられ、司祭長が祭詞を読み上げた。天皇、皇后両陛下の使者などに続き彬子さまが玉串をささげられ、皇族方も拝礼された。
記事出典 読売新聞 https://www.yomiuri.co.jp/koushitsu/20251115-OYT1T50103/
画像出典 日刊スポーツ



*秋の園遊会での三笠宮の三人

あなたは右にわたしは左に振り向いたら負けよ~♪ 歌詞引用 グッバイ・マイ・ラブ こじれにこじれて和解は無理でしょうね。信子さま、彬子さまはほぼ満足のいく結果になったのでしょうが、瑶子さまは一番損をした!と思っているでしょうし、彬子さまに対して相当不満を持っている様子。

文芸春秋12月号に「三笠宮家分裂の凄まじい内幕」の記事を書いていますが、何年越しの親子断絶ですからねぇ。特に買って読むほどではないような気がしました。下に動画を貼りましたが、暇なときに聞いてみてください。私はこの動画を聞いて買わなくてもいいや~と思いましたが。私っておはよう寺ちゃんが好きですねぇ (;^_^A

《百合子さま薨去から一年》瑶子さまは彬子さまと目を合わされず、晩餐会では隣席もNG…深まり続ける「家族の断絶」 全文はサイトでご覧ください。記事出典 女性自身 https://jisin.jp/koushitsu/2531213/

実は華子さまの“途中退出”は、当日取材を担当した記者たちには知らされていたという。だが、瑶子さまの退出は園遊会の取材現場での発表だった。

「両陛下、皇族方がお出ましになる直前に宮内庁職員から『華子さまと瑶子さまはお声がけが終わりましたら、列を離れて直接お帰りになります』と、アナウンスがあったのです。

華子さまは85歳で腰痛にも悩まれているそうで、広い赤坂御苑の会場をお歩きになるのは難しいことは周知のことです。しかし“なぜ瑶子さまも退出するのか?”と、疑問を感じた記者たちもいたのです。

「長女・彬子さまが三笠宮家当主として祭祀を継承され、母・信子さまが『三笠宮寬仁親王妃家』を創設し、その当主になられたのです。お三方が同じ家で生活することを望んでおられず、それぞれ独立した生計を営むことも検討されており、次女・瑶子さまも期待されていたようです。

しかし結果は、瑶子さまは独立できず、姉の彬子さまと同じ三笠宮東邸にお住まいになり続けることになりました。瑶子さまご自身は、三笠宮家に貢献してきたというご自負もあり、この裁定には衝撃を受けられたと聞いています」(前出・宮内庁関係者)

丘の上で一堂に会されたときも、彬子さまと瑶子さまはお隣に並ばれていたにも関わらず、目を合わせることもせず、特に瑶子さまは厳しい表情で立たれていたのだ。

「各場所で招待者たちとお話しする際には、天皇皇后両陛下と皇族の方々で、2ルートに分かれました。そして皇族方によるお声がけでは、秋篠宮ご夫妻と彬子さまのグループと、愛子さま、佳子さま、信子さま、久子さま、承子さまのグループになられていました。つまり信子さまと彬子さまは、しょうぶ池前では別々のグループだったのです。もしかすると瑶子さまには“どちらにも入りたくない”というお気持ちがあったのかもしれません」(宮内庁関係者)

橋下徹「維新は吉村イズムを貫徹しろ」自民と維新の連立 / 三笠宮家分裂の凄まじい内幕 彬子女王と母 信子妃/文藝春秋PLUS編集長・村井弦【公式】おはよう寺ちゃん 11月14日(水)

新しいパソコンで投稿とコメ返ししているのですが、ご迷惑をお掛けしているようです。公開でも非公開でも気が付いたら教えてくださいね。 単語登録も本当は悠仁親王と登録すればいいのですが、ずーっと悠仁さまで書いてきたので、このまま継続する事にしました。



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