サイトアイコン これでいいのだ日記part2

元の生活に戻りたい

お久しぶりです。

先月4月のカレンダーも予定がビッシリで相当なものでしたが、四十九日を過ぎたら少しは時間に余裕が出来ると思ったら大間違いで今月も負けず劣らず予定が入りました。

リハビリに行かないと動かなくなるので、リハビリに行く事が例え車での移動だとしても身だしなみを整えて動くリハビリになるだろうと思っているので、私としては週に2回のリハビリと1回は教会に行き、空いた日に買い物を2回程度・・・と考えていました。

ところが、前回も書いたように義弟の動きが早いのと、旦那がどうしても私を同行させたがるので付き合う事になり余計な動きと時間を取られてしまいます。特に午後からの予定が多く、草臥れても昼寝をするなどして休む時間が取れずにいました。

着物などは出張買取屋が来て見て行きましたが、着物のうち持って行ったのは1/3、装飾品はまともな物がなく義父が買った掛け軸も入れて1万5千円でした。義母はもっと指輪を買っていたはずですが、指輪は一個だけ。ガラスだと言われました(苦笑)

おそらく義姉が一昨年の八月と去年の四月に来たそうなので、持って行ったんじゃないかと思いました。それはそれで良いと思いますが、来ても掃除らしい掃除を全くしていない、特に拭き掃除はゼロで置き物、壺、皿などはホコリが被っていました。旦那も拭き掃除のしない人なので姉弟似ているのかも。

次に義弟は古物商に電話をしたらしく、それにも旦那に同行しました。 とにかく古い物が欲しいと言っていましたが価値のある物はゼロ。絵画も箱入りじゃないと駄目。良いと思った絵は印刷だったりする。鉄の置き物は買取り無し。結局、壺のような物と出張買取屋が置いて行った掛け軸1本と義母が嫁入りで持ってきたと思われる、壊れ気味の黒い箪笥を持って行きました。2千円でした。私が持っている人形の方が売れると思いました。

次に前回来て見て行った不動産屋です。その時も旦那に同行です。広過ぎる敷地、市内から外れている、家の価値はゼロ。売値価格は約諭吉300枚~400枚程度。それでも難しいだろうと言われていました。これには旦那も義弟も「まだ住める」などと言ってガッカリしていましたが、私は想定通りでした。

せめて浄化槽トイレならまだ少しは救いがあるとしてだーれが今の時代にボットントイレの家を買うんだ。広いホールの床は歩くとフカフカして板が剝がれている。要するにフローリングのような状態ではなく、化粧合板でも貼り付けたような状態で義父が予算削減したのだろう。

旦那の実家、家の中も含めて家全体が超ウルトラMAX粗大ゴミ状態ですよ。三人姉弟には実家で新築した時の夢から醒めない、価値のある家屋敷だと思っていたのが、この有様にショックだったでしょうねぇ。義姉が生きていたらどんな状態だったか見たかった。



それでもこの負動産は誰かに名義変更しないと不動産屋も売り出しすら出来ません。そこで旦那の名義に変更する手続きをする事になりました。義弟は放棄するか、相続するか悩み中だとか。年金生活なのに自分が死ぬまで固定資産税の支払いが続くからです。固定資産税が売値価格に比べると意外に高いのがネックでしょう。

旦那は畑をしたいので自分一人の相続になっても固定資産税を払っていく、放棄はしないと言っていました。オマケに自分一人の相続だったら売りに出さないでそのままにしておく、などと厄介な事を言ったりしています。とにかく畑をしたい一心なのでしょうが、アホ過ぎると思いました。

月曜日、午前中にリハビリに行く為に出掛けたのですが、頭がクラクラしてきて運転出来ず、Uターンして帰ってきました。翌日、昨日ですが薬も無くなってきたので旦那に送迎してもらい内科に行ってきました。いろいろ話をして「そりゃあ疲れるよ、寒暖の差も激しいし休養した方が良い」と言われ、昨日は一日殆どグータラ、昼寝もしました。

今日は元気になったので教会に行き、買い物をして帰宅。ほどなく弁護士から電話で、明日来て欲しいとか。あ~~また旦那に付き添いですか。義姉がたてた成年後見人も含めて旦那の実家関連の事が面倒くさくてほとほとウンザリで滅入って皇室などどーでもよくなっています。早く元の生活に戻りたーーい!

旦那が栽培中の畑。もっと沢山ありました。また猿に食べられるんじゃないかな(苦笑)



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