こんばんは。ようやく一息ついてブログを書いています。
ブログに散々手の掛かる超高齢者の母の愚痴を書いてきましたが、2月11日午前施設で亡くなりました。2月9日施設に面会に行った時は、車椅子に乗りそれなりに元気で食事も自分で取る事もある、と言われたので「また来るからね~」と言って帰宅しました。
翌々日の11日の朝、施設から職員が見回りをした朝の6時半頃に母の状態がいつもと違うのを見て、医師の診察で病院に搬送するか、施設でこのまま看取るかの相談をするので早急に来てください、との連絡が来た時はえっ!?一昨日は元気そうだったのに、こんなに急に・・・と、かなり慌てました。
すぐ弟に電話をして施設で看取りに同意して貰い施設に駆け付けました。母は酸素吸入をして荒い息遣いでしたが、本人は苦しくない状態とのことでした。
再度弟、娘、息子に母が危篤の連絡をしましたが、息を引き取るまでの時間は短かったです。施設に駆け付け母の手を握ってから一時間後に、旦那、施設の職員に見守られ静かに息を引き取ったのでした。誤嚥性肺炎1日、老衰6か月で、ほぼ老衰死で享年95歳。
14日に葬儀を終えるまで、何かと細切れに忙しい日々でした。遺影を決めるのにパソコンと外付けHDDを葬儀場に持って行き、時間を見て従姉妹たちと一緒に選びました。2016年のデイサービスの夏祭り、母が86才の時に撮影した写真が穏やかでとても良い表情で、よくよく見ると母はうっすら口紅をつけ化粧をしてデイサービスに通っていたんだと分かりました。毛染めを止めたので綺麗な白髪になっていました。私が「いや~美人だったんだなぁ」と言うと、従姉妹から「あら、知らなかったのぉ~おばちゃんは美人だったよ~」と言われました。
他にメモリアルスライドショーに使う写真10枚ほど選びました。 母の若い時の写真は火災で焼けたので、私がデジカメで撮影したデイサービスでのイベント、孫たちと一緒の写真、私のピアノ発表会で母と2人の写真など選びました。
問題の弟が母が亡くなった当日に来ない、翌日の12日になるという電話にかなりムカつき、喪主をするのかと聞くと喪主をすると言うので、通夜、葬儀の日程だけは決めて、他は弟が来てから決める事にしたのでした。
12日の昼頃に到着した弟は母の亡骸を見ては泣き、納棺、火葬でも泣いていました。少し痩せて少し老けて、息子が言うには「真面目になったように見えた」
親戚の中で母が最後まで残ったので参列者は13人の家族葬です(孫2人を入れると15人でした)。弔辞は息子が泣いてしまうから無理、父の時に弔辞を読んだからと固辞するので娘が弔辞を読みました。母にとっては曾孫も参列したし親類たちには良い葬儀だったと言われました。
私としては弟が無事に喪主を務め、葬儀のお金も全部出したので喧嘩にもならず、以前のゴタゴタは私も、親戚たちも一切口に出さず、和気藹々と葬儀を終えて亡くなった母も安心してあの世に行けるだろうと思ったのでした。
遺骨は私が家に持ってきました。家族だけで49日法要と納骨の予定をしています。
今日は急遽帰省した息子(1月に面会して本当に良かったと言い合いました)を駅まで送り、その後は買い物などして帰宅。疲れました。明日辺りからボチボチといろーんな手続きをしていこうと思っています。