サイトアイコン これでいいのだ日記part2

いつか電池が切れるまで

皇室話題は少し休みたい。

昨日2か月ぶりに内科に行って2か月分のコレステロールを下げるを薬を貰ってきた。春頃までは毎月行っていたけど、血圧が低くなり安定しているので血圧の薬を止めたので2か月に1回にして貰った。

医者*元気にしていたか~。
私●あんまり・・・夏に疲れたせいか食が細くなり以前のようにバクバク食べられなくなりました。
*そりゃそうだよ~そうやって枯れて行くんだよ。
●はぁ・・・・
*今まで沢山食べていたからいいんじゃない。
●あははは
*まだ太って肉があるし、散歩しろよ~。
●はい、散歩頑張ります。

ほぼ3分内で診察終わり。処方箋を持って隣の薬局に行き薬を貰う。半年に1回は血液検査をするので、12月は採血するかも。

早起きの旦那が番号札を取ってくれるので助かります。

先週は整形外科に行き診察無しで湿布だけ貰ってきた。こちらも特に激痛でもなく痛い時は痛い、安定して痛いので医者が診察無しで湿布だけ処方してくれることになった。



祭日、以前から約束していた前の町内会の部長がタンスの整理をしたいと、着物を持って遊びにきた。

昔の嫁入りタンス三点セットの中に、お母さんが着物を作って入れてくれたけど振袖以外は殆ど着ないでしまった。娘さんも着ない。
私が着物を見たいと言ったら、欲しかったらあげると言う。全く袖を通していない付け下げ、長襦袢、袋帯、夏に着る黒地に透かし模様、着物に合わせたのか渋いオレンジ色の帯、等々。6点くらい持ち込んで12月まで我が家に置いておくらしい。

引っ越ししてからも部長さんは5、6回遊びに来てお茶飲み話をしていく。沢山採れた夏野菜のお裾分けもしていて、もう部長と部員の関係から友達になったようだ。

頭の良い人で賢い、商いをしている家に嫁ぎ、良かった時代もあっただろうけど今は廃れてしまい細々と旦那さんが仕事をしているだけ。2人国民年金だそうで生活が大変なのがわかる。だけど私みたいにウダウダと愚痴はこぼさない、お金がないのも明るく話す。

とにかく生まれた家が貧乏なのに、私はピアノを習いたかった。でも習えない。その夢は50才過ぎて叶えて何とか初心者レベルの曲を10曲くらい弾けるようになった。アップライトピアノまで買った。

着た切り雀みたいな子供時代。私の足が小さいのは足に合ったサイズのズックをマメに買って貰えなかったからではないだろうか。

高校卒業して就職しても給料は全額母に渡して小遣いを貰った。コートなど大きな物を買う時はお金を貰っていた。旦那と付き合っていた時に、初めて皮の靴をプレゼントして貰った。茶色のストラップ付きの靴。

21才で結婚は早い、社会生活たった3年間の物知らず。23才で母になり、26才で2人の母になる。

大学に入った人達なら4年間、いろんな事を学べる。私には学ぶ機会が本当に少なかった。結婚生活、育児、家事炊事、それにパニック障害持ち。親からの援助もなく必死になって生活をしていた。
だけど、旦那のお陰でパソコン、人形収集、ピンクハウスを着る、等々好きな事ができた。友達のお陰で泳ぐきっかけを作って貰った。

親ガチャには少し外れたけど、旦那運は良かった。完璧な人などいない。真面目で働き者、暴力振るわない、子供好き、健康、私にも優しい方、浮気しない、友人知人の旦那さんの話を聞いても良い方です。

ある友達に仮に今死んだとしても悔いはない、好きな事はほぼやってきたから、と言うと、いや~まだまだ、孫の成人式とかいろいろ見ないと・・と言われる。

特に下の孫は女の子なので成人式で振袖を着せるだろうけど、それも見られるのは15年後、果たして生きているかどうか分からないし今の孫たちを見るだけでも良いんだよ、と言っている。

好きで読んでいるブログ「いつか電池が切れるまで」のタイトルのように私もいつか電池は切れる。若くないので残量は少なくなっています。

「貧すれば鈍する」から「衣食住足りて礼節を知る」生活にしたい。怒りの無い生活、穏やかに過ごすのが私の望み。早寝早起きの習慣が着いたので、教会への復帰も考えている。(統一教会ではありません)「人はパンのみに生きるにあらず」新約聖書マタイ・第4章



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