上皇ご夫妻、仙洞仮御所にお別れ 26日に赤坂御所へ
上皇夫妻は今日12日午前、2年間過ごした仙洞仮御所を出発、葉山御用邸に2週間ほど滞在し、思い出の東宮御所、今後は仙洞御所の名称になるところで生活される事になりました。
上皇夫妻にとっては久しぶりに車窓を開けてお見送りにお手振りや会釈、それに歓迎されて退位前の現役時代を思い出されたことでしょう。
今になって近所の保育園児との交流、地域の温かい歓迎に感謝しながら、穏やかな日々を過ごしたとの事ですが、仙洞仮御所での生活は、飛行機の騒音がうるさいとか、庭が狭く体調も悪いとか愚痴が多く、殆ど良い事を聞かなかったのですが、それがどうしたことか、このたびは退去にあたって今までの不平不満は無かったかのような報道でした。上皇陛下が思ったよりお元気でなによりでした。引っ越し後は上皇夫妻、特に美智子さまの住まいに関する庶民とは違うレベルの愚痴が無くなりホッとします。
上皇ご夫妻は12日午前、仮住まいとして2年余り過ごした仙洞仮御所(東京都港区)を出発された。葉山御用邸(神奈川県葉山町)に滞在し、26日に赤坂御用地(港区)内の旧赤坂御所に入居する。ご夫妻は代替わり後の2020年3月に皇居を離れ、仙洞仮御所で暮らした。側近によると、地域の温かい歓迎に感謝しながら、穏やかな日々を過ごしたという。この日は、地元を代表して武井雅昭・港区長や近所の保育園の園児46人が見送りに訪れた。ご夫妻は区長から贈られた花束を手に、車の窓から園児らに笑顔で手を振り、午前10時半すぎに出発した。
記事出典 時事通信 https://www.jiji.com/jc/article?k=2022041200136&g=ryl「皆さんが健やかに、幸せに過ごすことを願っています」。12日午前、上皇さまは仮御所にあいさつに訪れた地域の代表らと面会した際、見送りに感謝するとともに、住民らを気遣う言葉をかけられたという。ご出発の際には、ご夫妻と交流のあった近所の愛星保育園の園児らも駆け付け、「ありがとう」「さようなら」と手を振って別れを惜しんだ。ご夫妻は、目を細めて応じられていた。宮内庁によると、ご夫妻と園児らとの交流は、散歩中にドングリを探していた園児らが、仮御所敷地内のドングリを許可を得て持ち帰ったのをきっかけに始まった。お礼に、と園児らの絵にドングリを貼り付けた作品が届けられ、ご夫妻は喜んで部屋に飾られていたという。その後も、ご夫妻のお誕生日やクリスマスに園児らからカードが届けられ、交流を重ねていた。記事出典 産経新聞
https://www.sankei.com/article/20220412-BZ3UTQ7TQVIJRGDGENYNNNDWEU/
紀子さま、結核関連施設を訪問
鑑賞であれ公務であれ、そろそろこうして皇族方が出掛けるのは良い事だと思いました。中国のようにゼロコロナは無理で、今後はwithコロナで感染予防に気をつけ新型コロナと共存、共生していく
時代になり、いつまでも引き籠っているわけにはいきません。ワクチン接種したからと言って100%感染しないわけではなく、感染しても重症化にならない確率が高いだけですが、医療逼迫を考えると
受けられる人、受けたい人が接種し、どんどん外に出て経済を回すだけでなく気分的にも良いのではないか、と思うこの頃です。ただ感染が怖くて引き籠っていたい人達を無理に出す事はできないので、出るのが大丈夫な人達の足を引っ張らないで欲しいと願ってます。
秋篠宮妃紀子さまは11日、東京都清瀬市の市郷土博物館を訪問し、企画展「結核療養と清瀬」を鑑賞された。展示では、結核患者を収容するために東京府立清瀬病院(当時)が市内に開院した昭和6年以降、多くの結核療養所が開院して「東洋一のサナトリウム」と呼ばれるようになった歴史などを紹介。市民からの聞き取りや寄せられた資料について説明を受けた紀子さまは、「街の歴史をそういう形で私たちが学んだり、知ることができるんですね」と述べられた。結核予防会の総裁を務める紀子さまは、市内にある同会の結核研究所訪問に先立って博物館に立ち寄られた。
記事・画像出典 産経新聞 https://www.sankei.com/article/20220411-R6Q27Z35NVPU7PQRFQMV2DD7K4/