眞子さん、26日に秋篠宮邸を後にして結婚してから何度目の秋篠宮邸を訪問したかな。11月2日、5日、その後祖父の川嶋辰彦さんが亡くなり、葬儀、斎場には夫の小室圭氏と2人で参列。そして今日は渡米前に赤坂御用地を訪問。毎回赤坂御用地と報道されますが、秋篠宮邸のことでしょ。宮邸を訪問する時は1人で圭氏の姿はありません。圭氏は宮邸立ち入り禁止でしょうね。
下に動画を載せましたが、結婚後の眞子さんは着ている服だけはすっかり庶民です。祖父川嶋辰彦さんの葬儀でも元皇族のオーラは無く、新婚の初々しさもない、草臥れた30才既婚者のようでした。
姿や様子は庶民でも、ビザの発行などは皇室パワーを使ったような速さだそうで・・・私は海外に行ったことが無いので、そういう事情は分かりません。
昨日の元婚約者さんと小室圭氏の金銭トラブルについての交渉は一応解決されたようです。元婚約者さんが早々にFRIDAYから独占手記を出しましたが、週刊現代とFRIDAYは講談社で同じ会社なのですね。元婚約者さんの代理人が週刊現代の記者なので、そういうことか・・・。読むと小室圭氏は被害者意識の塊のような状況のようです。「借りる時の地蔵顔、返す時の閻魔顔」
国民の祝福は4割だそうですが、それでも多くの国民の祝福は得られず渡米する2人でした。元婚約者さんの独占手記は記録として転載しました。
眞子さん赤坂御用地に 渡米前に“お別れ”挨拶か
秋篠宮家の長女・眞子さん(30)が13日午後、赤坂御用地を訪れた。14日に夫の小室圭さん(30)とともに米ニューヨークに旅立つことになっており、出発を前にご一家にお別れのあいさつをしたとみられる。12日夜には、圭さんが小室家の金銭トラブルの相手である母・佳代さんの元婚約者の男性と、都内の代理人弁護士事務所で面会。2017年12月に金銭トラブルが公になって以降、圭さんが男性と対面するのは初めて。小室さん側が交渉後、取材陣に「解決した」と明言した。13日には元婚約者側の代理人が取材に応じ、解決金は近日中に振り込みで支払われる見通しであると明かし、金額については「額面通りです」と答えた。圭さんは7月にニューヨーク州の弁護士試験を受験したが不合格となった。来年2月に再挑戦する予定。記事出典 スポニチ https://news.yahoo.co.jp/articles/fde4b96883fee863f8f9ce28c69f2708ec0b1237
【スクープ】元婚約者の独占手記「交渉で小室さんが語ったこと」
11月12日、小室圭さん(30)と、小室さんの母・佳代さんの元婚約者A氏との「直接交渉」が行われた。
場所は東京・表参道にある、小室家側の弁護士の事務所。すでに一部メディアによって、「両者が確認書にサインをし、トラブルは解決した」と報じられている。しかし、交渉の場の詳細、そしてなぜA氏が確認書にサインをしたかは、一切明かされていない。この度、元婚約者が本誌に「独占手記」を寄せた。
以下がその全文である。
〈8人掛けのテーブルが置かれただけの無機質な部屋で、圭君と私は10数年ぶりに対面しました。二人の間にはアクリル板が置かれ、互いにマスクをしたまま。私は久しぶりに会った彼を見て「お父さんの敏勝さんに似てきたな」と思いました。しかし、彼の表情は固く、私が知っている昔の圭君とは随分印象が変わっていました。
交渉当日、私は仕事が終わったあと、代理人と合流し、夜8時少し前に表参道の事務所に到着しました。事務所に入ると、最初は4人掛けのテーブルだけが置かれた小さな部屋に通されました。私は事前に代理人を通じて、「圭君と2人で話がしたい」という希望を伝えていました。そのほうが率直に、本音で話しあえると思ったからです。しかし、交渉直前の別室で先方の代理人より「互いの代理人を交えた4名での交渉でお願いしたい」という申し出がありました。私の希望とは違う形でしたが、ここで揉めて交渉が台無しになってはどうしようもないと思い、了承しました。
8人掛けのテーブルを挟んで私と圭君が向かい合い、同じテーブルの端に互いの代理人が座るという形式でした。
圭君は最初に「学生のとき、Aさんに色々なことをしてもらったことは感謝しています」と言いました。しかし、「母と一方的に婚約破棄をしたこと、そして様々なことを週刊誌に暴露したことは大変悲しいです」とも言いました。何度もお伝えしているとおり、私が佳代さんとの婚約を解消したのは、度重なるおカネの無心に耐えられなくなったことが原因です。その借金をなかったことにされていることに納得ができなかったので、メディアの方々に自分の周りで起きた事実を語ったのです。
しかし、彼は「学生の頃はAさんのことを紳士だと思っていました。しかしAさんがやっていることは、紳士だったAさんとは乖離していませんか。せめて一本、直接連絡をしてほしかった」と言われました。
彼が何度も「悲しい」と繰り返すので、私は「それは申し訳なかった」と頭を下げました。圭君のことは一時は自分の子ども同然に思っていましたから、その彼から「悲しい」と言われれば、私も申し訳ない気持ちになります。
ただ、私はおカネを貸したほうの立場ですし、佳代さんや彼からいつ連絡があってもいいように、電話番号もそのままにしていたのです。彼からそう繰り返されて、胸にものが詰まったような気分になったことは確かです。交渉を通じて向こうから謝罪の言葉のようなものはありませんでした。
私は昔、佳代さんと婚約していたころの圭君との思い出話をしました。彼が私の家に来て、一緒にDVDを観た話などです。昔話をすることで、くだけた、おたがいに率直に話しをしやすい雰囲気になればと思ったからです。しかし、それらの話をしても彼の表情は変わることはありませんでした。
私はもちろん「結婚おめでとう」「司法試験は残念だったね。でも、学生時代から、圭君のがんばりはよく知っているから、絶対次の試験は大丈夫だよ」ということも伝えました。しかし彼の表情は緩むことはなく、私が「ただ圭君を気持ちよく送り出したいんです」と言うと、訝(いぶか)しそうな顔をしていました。交渉の最中、ずっと彼は悲しそうな、うらめしそうな表情をしていたのが印象的でした。
交渉の最後のほうで、彼が解決金の話を切り出しました。私は何度も彼が「悲しい」という言葉を繰り返すのに、辛い気持ちになっていました。私はこの問題が一刻も早く解決し、彼がなんの心残りもなく旅立ってほしいと思ってきました。そして交渉の場で、昔の仲が良かったころのように少しでも話せたらと思ったのです。
しかし、その思いはかないませんでした。ただ、だからといって、この問題をこれ以上長引かせてはいけないという思いは強く持っていました。それで、私は諦めと、無念さを持ちながら、確認書にサインをしたのです。
形式的なものではありますが、交渉の最初と最後に圭君と握手をしました。最初は普通だったのですが、最後に握手したとき、彼の手はびっくりするほど冷たくなっていました。彼も緊張していたのかもしれません。
私はこの話し合いで、すべての問題が解決したらいいと思っていました。そしてお互いに「色々あったけど、申し訳なかったね」「こちらこそすみませんでした」と労わりの声を掛け合えたらと思っていたのです。しかし、決してそうはなりませんでした。わだかまりが消えたとは、言えません。〉
A氏の手記は以上である。小室さんは14日にも渡米する見込みだ。
記事出典 https://friday.kodansha.co.jp/