昔々、88才の母がまだ若いころ家から駅に行くには
その道を通るのが近かった。

まだ長靴もない時代、着物を着ていた母は
冬は雪下駄を履き大きなショールを羽織って
その道を歩いたそうだ。

雪が降ると歩いているうちに、雪が下駄について
段々丸くなり、たまに下駄をコンコンと叩いて
堅くなった雪を取る、それでも雪は下駄につく。

その道の先には木で作られた太鼓橋があり
雪のついた下駄でつるつるになっている
太鼓橋を渡るのがとても怖かったとか。

太鼓橋を渡る川の手前のその道の両側には
独特の雰囲気の町があり、一番目立ったのは
大きな太鼓を作っている店だった。

太鼓橋を渡るのも怖かったが、その町の道を通るのも
雰囲気が怖くて、早足で歩いたそうだ。

画像出典http://www.city.eniwa.hokkaido.jp

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今、その町は太鼓橋も無くなりコンクリートで出来た
橋になり普通に車が走っている。
両側の家々や太鼓屋も無い、飲食店が少し他は廃屋、閑散としている。

母が若かった頃から今もその町に住んでいる人はいるのだろうか。

若い人達は別の土地に家を建て、町から出たり
都会に行った人達もいただろう。

かろうじて、団塊の世代の人達は知ってる特殊な小さな町。
もう誰もそれを話題にする人もいなくなり
誰も言わないので知らない人達の方が多くなり
「寝た子を起こす」ようなこともしない。

市内から10分、15分も車で走れば
よくある田舎の集落、村があちこちにあり
会話の中で普通に部落を使っている。。

田舎に嫁いだ友人も
「あたしんとこの部落では毎月婦人会の集まりがあって~」と
今でも集落のことを部落と呼ぶことに違和感はないし
過剰反応する人もいない。

市の予算に同和対策費はなく、もう私の住んでいる市には
村なら有るけど部落はないに等しく、出自差別経験を
見聞きすることもない。
わたしは蝶々が飛ぶお花畑に住んでいるのだろう。

下級公務員の旦那が昇進した時、研修先で
被差別部落と差別の勉強をしてきた。
研修から帰ってから、私にそのことを教え
それから気になり図書館でいろんな本を読んだけど
私の知っている部落は「橋のない川」「破壊」の小説や
「被差別部落の青春」等々ノンフィクションの書籍の中だけ。

同和対策費用がある地域に住んだことがなく
同和教育を受けたこともなく、そういう人達との交流もない。
ただ、そういう差別が昔も今もある、それだけしか知らない。

パソ通で知った京都住まいのおっさんが、逆差別がある
大嫌いだ等々書いていたことを思い出す。
実際に住んで経験しないとわからない怖さもあるのだろうし
差別される側の苦しみもあるのだろう。

部落出身の子でなくても、部落出身の男性と結婚したら
その嫁は部落者、その子供も部落者になり差別される
こういうことも本で読んだ。

だから、眞子さまと小室圭は海外に目を向けているのか
海外で生活をしたいのか、とも思った。

海外に行けばそれはそれで「日本人」ということでの
差別もあるのだろうけど、日本人から差別されるよりは
またマシと考えたのだろうか。

私の世界は井の中の蛙と同じ小さな世界だ。

皇居のある都内、関東圏内に住んでいない
住んだこともない、海外には一度も行ったことがないし
これからも行けないだろう。
誇れる学歴も知識も無ければ職歴もない。
16才でパニック障害になり、良くなったり悪くなったりの繰り返しで
最悪、家から一歩も出られない時代を過ごしたこともある。

元気な人に限って「差別」と言うけど、心に病を抱えている人達は
大きな声で「差別」と言う気力すら無いのが現実だ。
周囲の人達、家族にすら理解して貰えなくて、病気、働けない
経済的な問題、理解して貰えない、三重も四重もの苦悩を抱えている。
それでも頑張って仕事をしている人達も多いのだ。

だから、天皇皇后の浪費と鑑賞、海外お出掛け三昧にも怒りを覚えるし
適応障害と言いつつ、遊びには元気に出掛ける雅子(サマ)にも怒りが沸く。

皇室、王室のことを書いてきたのは、ただ別世界のことが
好きだったから、それだけだった・・・

私は小さな世界から大きな世界の皇室を見ている。

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